高知県 水力 発電 事業 発祥の地
こうちけんすいりょくはつでんじぎょうはっしょうのち
平山親水公園に旧平山発電所のフランシス水車とともに平山発電所の説明板がある。
写真
碑文
高知県水力発電事業発祥の地 平山発電所概要
平山発電所のあゆみ
明治31年4月11日、高知県に初めて電灯がともりました。発電出力50kWの小さな火力発電所によるものです。当時の電灯で約700灯、今の家庭用エアコンなら50~60台程度を動かす小規模な発電所でした。
その頃の高知県では、交通手段といえば馬車か徒歩、産業は家内工業が細々とあるだけで近代化を図ろうにも肝心な動力がなく、日々の生活でもランプが主役の時代でした。
その後、四国では電気の利用が盛んになり、明治36年に愛媛県で最初の水力発電所が建設されました。同じ頃、高知県でも水力発電所ができないかと考える人が現れ、初めての水力発電所建設計画が持ち上がりました。それが、ここから少し上流に高知県によって建設された旧平山発電所です。
この発電所建設は、当時の県予算に匹敵する莫大な費用をかけた大事業でしたが、県知事であった宗像政(むなかたただし)の強い指導力のものと、明治39年12月に着工し、2年3ヶ月を費やして、明治42年2月11日についに完成しました。これにより高知県で初めて水力による発電が開始されました。当時としては全国的にも規模の大きな発電所で、高知県の人々にとって夢のような出来事だったようです。
発電所がこの地に選ばれたのは、穴内川から国分川分水している甫喜峯疎水があり、この水を、発電に利用できないかと考えたからです。
甫喜水疎水は、香長平野への灌漑用水補給のため、江戸時代に土佐藩家老の野中兼山により考案されましたが、実現しませんでした。その後明治に入り、何度も深刻な水飢饉に見舞われた地元住民の強い願いにより明治33年7月に、約4年の難工事のすえ、完成したものです。
旧平山発電所で発電された電力は、その後第一次世界大戦前後からの好況により製紙・製材・製糸・セメント製造など多くの産業で利用されました。その後も、工場の新設、電車の開通、ラジオや扇風機の出現などで電力需要はさらに急増し、これに対応するため県下の主要河川に相次いで水力発電所が建設されました。今では県内に42個所の水力発電所があり、県内電力需要の約35%を担って産業・文化に広く利用されています。
その後、旧平山発電所は、昭和26年に四国電力へ移管され、昭和51年に廃止されるまで67年間にわたり発電を続けました。現在は、昭和38年に建設された新平山発電所(41,500kW)が後を引継ぎ、純国産のクリーンな水力エネルギーを利用する発電所として大いに活躍しています。