国産 乗合バス 誕生の地
こくさんのりあいばすたんじょうのち
山陽本線
レトロバス前に掲示された説明板に詳しく書かれているが, 明治38年(1905), ここ横川と可部(いずれも 広島市内)の間(14.5km)に 日本で初めての国産車によるバスが運行された。しかし 実際には地元の馬車業者の反発が強く, またバスがタイヤのパンクなどのトラブルが発生したため, 路線バスは約半年で運航中止になった。
この時から100年を経過したことを記念し, 横川駅前が大改造されるタイミングに合わせて, 地元関係者が中心になって「レトロバスの復元」が企画された。一枚だけ残された当時の写真を参考にしながら 部品を一つずつ作り, 2年の時間を費やして平成16年(2004) に完成した。このレトロバスは, ガソリンエンジンを搭載していて 実際に走ることもできるそうである。
ところで“乗合バスの発祥の地は京都市”ということになっているらしい。実際に京都で乗合バスが運行されたのは明治36年(1903) のことで, 使われた車両は5人乗りの 蒸気自動車を改造した無蓋の車両だったという。 これに基づいて, 日本バス協会は京都のバスが運行開始された 9月20日を“バスの日”と決めている。
しかし, 時間的には京都の方が横川より2年早いので“発祥の地”と呼ばれるのは間違いではないのだが, 横川のバスは 12人乗りであること, “バスとは 11人以上が乗れる車”と法的に定義されている ことを理由に「京都は‘バスの日’を横川に譲ってほしい」とアピールしているとか。
横川からのバスの対地である可部の駅前にも,「日本最初の乗合バス発祥の地」と書かれた パネルが埋め込まれている。
写真
碑文
日本最初の国産乗合バス誕生の地
The Birthplace of Japan's First Omnibus横川 YOKOGAWA ~ 可部 KABE
1905年(明治38年)2月5日
明治38年(1905年)2月5日, 日本最初の国産乗合バスがここ横川で誕生しました。翌々日の新聞は, 次のように報じています。
「横川・可部間自動車交通事業はいよいよ開始の機全く熟したるを以て, 一昨 日午後3時より山陽線横川駅前なる自動車停車場に於いて開業式を挙行したり」
この日本最初の国産乗合バスは, エンジンはアメリカ製ですがその他はすべて国 産で, ボディは総ケヤキ造り, タイヤはバス用が間に合わず乗用車用のバルーンタイヤを使用していました。横川・可部間約15kmを片道運賃24銭(馬車は15銭)。12人乗りで営業をはじめましたが, 1トンを超える重いボディとでこぼこ道でタイヤがもたず, わずか9か月で営業を停止しました。
しかし, この当時のチャレンジ精神は100年目を迎える今日まで受け継がれ, 広島のテクノロジーの礎をなって今も息づいています。
こうした先人たちの功績を後生に語りつぐため, 私達はここに乗合バスの記念モニュメントを製作しました。
中に展示されたレトロな自動車は, 地元のボランティアグループ“レトロバス復元の会”が多くの市民や企業から支援を受け, 唯一残っていた写真を手 がかりに当時の乗合バスを復元したものです。
私達は, このモニュメントを“日本最初の国産乗合バス誕生の地”のシンボルとして, いつまでも大切に保存し, 今後の横川地区のまちづくりにつなげ ていきたいと考えています。平成16年(2004年)3月28日
レトロバス復元の会・広島市復元したレトロバスの諸元
- 全長 44m
- 全幅 18m
- 全高 2.8m
- 重量 1310kg
- 客室内寸法 長さ / 幅 / 高さ
2.1m / 1.3m / 1.8m- ガソリンエンジン搭載 (自走可能)