交流電化 發祥地
こうりゅうでんかはっしょうち
鉄道の電化は直流電源を用いる方式でスタートした。しかし直流方式は送電ロスが大きく地上設備のコストが高くなるため,1950年代から交流電化の採用が検討されはじめ,昭和30年(1955) にここ仙山線で,昭和32年(1957) に北陸線の敦賀において実用化試験が実施され,直流/交流を地上で切り換える設備が設けられたり,日本初の交直両用電車の試験も実施された。その後 国鉄は北陸・東北・北海道・九州地区は交流で電化することとなった。
仙山線は,昭和12年(1937) までに 仙台~山形間が全線開業。山形県側は直流電化されていたが,東北線が仙台駅付近では交流電化されたため,仙山線の仙台側は交流電化されることになり,作並駅が交直接続駅となった。しかし その後 昭和43年(1968) には 作並~山形間も交流電化に切り替えられ,全線交流電化となっている。
写真
碑文
交流電化發祥地
昭和三十年八月十日
1955 16KM
交流電化の由来
昭和28年8月 交流電化調査委員会発足
昭和29年9月 仙山線北仙台~作並間の50Hz・20KVの交流設備の工事が完了
昭和30年8月 国産交流機関車ED44-1による試験運転を開始
昭和31年3月 地上設備と機関車の実地試験完了
わが国の交流電化は仙山線におけるデータを基礎として北陸本線、東北本線の電化へ、さらには新幹線へと世界に誇る鉄道として飛躍的に発展した。作並は記念すべき交流電化発祥の地であります。