教育 発祥の地(厚真町)

きょういくはっしょうのち

2018年9月の「平成30年胆振東部地震」で土砂崩れが起き、集落の13件中11件で死者が出た厚真あつま町の吉野地区の被災地に碑が残っている。もともとは地域の集会所であった「吉野生活会館」前に碑が建っていたが、建物は跡形もなく土砂にながされ、その後撤去されたと見られる。碑だけが更地に残され、寂しさを募らせる。2018年12月に訪れた際は、道路こそ開通していたものの崩れた住宅や土砂はそのままだった。斜面と道路の間の細長い地域に住居が集まっていて、道路の向こう側は広大な田圃だった。

「教育発祥の地」が何を指しているのか、情報が少なくよくわからなかった。もしかすると、碑の他に何らかの説明があったのかもしれないが、そうだとすれば全て土砂に流されたことになる。

厚真町のホームページによると、明治30年5月に公教育が始まったことになっているが、この場所ではなさそうだ。

一方、明治17年(1884)、山本鉄太郎が厚真村(当時)トニカに入植した。トニカとは現在の富里地区で、当地 吉野地区の北東に隣接した地域。明治初期から開拓され始めたが30戸のうち和人は3戸であとはアイヌ人だったという。山本は開拓に励むかたわらアイヌの生活厚生に尽力し、寺子屋式の私塾を開設した。これが厚真の教育発祥なのではないかとみられる。

いずれ、この「教育発祥の地」が何を指すのか詳しく調べてみたい。

なお、被災前の様子はネットでなかなか探し出せないが、かろうじて北海道小学校校章図鑑予備.zip)には写真をみつけることができた。それによると、やはり副碑が並んでいたようだ。

写真

  • 教育発祥の地(厚真町)背面
  • 教育発祥の地(厚真町)
  • 教育発祥の地(厚真町)

地図

地図

勇払郡厚真町吉野 付近 [ストリートビュー]