鮪延縄船 安房節 発祥の地

まぐろはえなわせんあわぶしはっしょうのち

内房線 館山駅から南に10km。国道410号 相浜交差点付近から海岸の方に入り,富崎小学校の裏手の砂浜に, 「鮪延縄船 安房節 発祥の地」と書かれた茶色の石碑と,その近くに黒御影石の副碑が建っている。

延縄はえなわは釣り漁法の一種で,1本の縄(幹縄)に多数の枝縄(=延縄)をつけ, 枝縄の先端に釣り針をつける。 漁場にこれを仕掛けてしばらく放置したあとで回収し漁獲を得る方法。延縄漁そのものは非常に古くから行われており,『古事記』などにも記録があるが, 室町時代以降は網による漁業が発達して延縄漁は次第に衰退し, 比較的大形の魚を獲るために利用されてきた。

マグロの延縄漁は,江戸時代の18世紀中ごろに紀伊半島から移住した漁民によって, 房総半島南部の布良港で始まったと言われる。当時は近海漁業であっても十分な量のマグロが獲れ,明治中期に最盛期を迎えている。しかしその後の漁獲量は減少し,明治末~大正初期には房総のマグロ延縄漁は見られなくなった。

安房節の発祥に関して詳しいいきさつは不明だが, 鮪延縄漁と共に発生し歌い続けられた。延縄船での作業は 文字通り不眠不休の過酷な労働を強いられ,漁師達の士気を鼓舞するために船の上で歌われた作業唄が安房節の原型になったと言われる。

発祥碑と一緒に 安房節の歌碑が建立されている。

写真

  • 鮪延縄船・安房節 発祥の地
  • 鮪延縄船・安房節 発祥の地
  • 鮪延縄船・安房節 発祥の地 副碑
  • 石井治郎氏顕彰碑
  • 鮪延縄船・安房節 発祥の地 副碑 背面
  • 鮪延縄船・安房節 発祥の地

碑文

まぐろ延縄船はえなわせん
安房節あわぶし 発祥の地

鮪延縄漁業の由来

鮪延縄漁業は遠く江戸時代に遡り 延享二年(1745年)今を去ること247年前に 紀州摂州地方からの移住漁民により創業された 明治二十三年大型船建造に成功し 遠く銚子沖稲取方面まで出漁 連夜の沖泊まり操業して鮪を満船 三崎港や稲取に入港 数年にして当時の日本漁業界にその名を馳せた この季節は台風龍来季と期を一にして 相次ぐ難破船溺死人の続出と打ち続く不漁とで衰退の一途を辿り 逐に大正の初期をもって終焉した

安房節

鮪延縄漁の最盛期は晩秋から厳冬期にかかる寒い季節である 鮪延縄船は根拠地の港から一斉に漁場に向かう 連日連夜鮪との格闘である 空腹眠気寒さに乗子等の鈍る士気を鼓舞するため 船頭が唄い艫取りがはやす即興の作業唄が次第に洗練され いつしか祝い事宴席で唄われるようになった 歌詞は若い衆の心意気と家族との愛情を込めたものが中心になっている。

  安房節はまさに祖先への鎮魂歌である

鮪延縄船
安房節 記念碑建立委員会

一九九三年一月吉日
 (平成五年)

協賛
茨城県笠間市大郷戸六一四

㈲近藤石材工業
近藤 實

元唄 安房節
アーエ 伊豆じゃ稲取
  房州じゃ布良よ
   粋な船頭衆の
    出るところ

アーエ 船頭させても
  とも取りやさせぬ
   押さえひかえが
    まヽならぬ

      小沢千月書

この記念碑は祖先の偉業を顕彰し後世に残すため建立する

地図

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