マイクロウエーブ幹線 創始之地
まいくろうぇーぶかんせんそうしのち
地下鉄南北線 麻布十番駅から西に700m。南山小学校や六本木高校体育館の裏側(南西側)は各国大使館やいくつもの高級マンションが並ぶ閑静な住宅街。それらマンションの一つ“アルファ元麻布”の入口奥,隣のマンションとの間にある小庭園風の場所に,白い平板状の石と黒い円板状の石を組みあわせた複雑な構造の石碑が建っている。
ここはかつて電電公社(当時)の「東京統制無線中継所」があった場所で, 東京~名古屋~大坂間のマイクロ波通信回線の中継が行われた。しかし都内のビルの高層化に伴い 隣の中継所(横浜・磯子の円海山)との見通しが得られなくなって電波障害が生じたため,目黒区・祐天寺に建設された「唐ヶ崎統制無線中継所」に業務が移管された。
公衆通信用のマイクロ波多重通信は,1954(昭和29)年に,電話360回線又は白黒テレビ1回線を伝送する 4GHz方式が開発され,それ以後20GHz帯までが開発・実用化されている。これによって無線チャンネル当たりの伝送容量も大幅に増大していった。しかし無線伝送では,通信品質の劣化や無線の傍受による通信の秘匿性の問題があり,2000年代前半より光ファイバーによるディジタル伝送に切り換えられている。現在利用されているマイクロ波無線回線は,衛星通信および警察・消防などの専用回線が主体となっている。
写真
碑文
マイクロウエーブ幹線
創始之地日本電信電話公社総裁 米澤滋書
マイクロウエーブ幹線創始之地
記念碑昭和29年4月1日東京大阪間を結ぶマイクロウェーブ回線がこの地を起点として開通した。
この回線は4000MHz帯を使用し周波数分割多重市外電話360回線または放送用白黒テレビジョン信号を、周波数変調方式により伝送するものであった。
無線による周波数分割多重方式は昭和15年米澤滋博士が世界にさきがけ超短波によって実用化し,無線の多重化技術の基礎を確立したものである。
戦後黒川廣二博士を中心とした諸先輩がこれを発展させ今日の輝かしいマイクロウェーブ技術の進歩をみた。
いまやマイクロウェーブ回線は全国テレビジョン中継はもとより市外電話回線網の中枢をなしている。またこのマイクロウェーブ技術はわが国が開発した自主技術として世界の最高水準を行くものである。
この碑はこの地がマイクロウェーブ幹線創始の地であることを記念するとともにわが国のマイクロウェーブ技術の発展に寄与された諸先輩の偉大な業績を偲んで建立したものである。昭和46年12月1日建立