灘五郷酒造の発祥地

なだごごうしゅぞうのはっしょうち

三宮駅から北に200m。生田神社(中央区下山手通1丁目2-1)の南門を入り 楼門手前の朱塗りの三の鳥居の右手に 松尾神社がある。 松尾神社に向かって左手前に 樹木に半分隠れるような形で 平板状の石碑が建っている。

伝承によると, 神功皇后は 夫の仲哀天皇の死後, 西暦201年~269年の間 政務を執った。 その間 朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻め(三韓外征)、新羅は戦わずして降服して朝貢を誓ったとされる。
三韓外征の帰路, 神戸の港で船が進まなくなったため, 生田の地にかる女尊ひめのみことを祀った。 これが生田神社の起源である。そして 毎年来日する“新羅使”が瀬戸内海を通過する際には 生田神社で醸造した神酒で新羅からの使節をもてなし, これが灘五郷における酒造りの始めとなったと伝えられている。

ちなみに この発祥碑の建立されている松尾神社は“酒造の神”大山咋神おおやまくいのかみを祭神とする 神社である。

「灘五郷」とは, 神戸市灘区・東灘区・西宮市にまたがる 瀬戸内海に面した地域で, “灘の生一本”で知られる日本酒の生産地。今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷と呼ばれる5つの地域からなる。現在 灘五郷の清酒の生産量は 全国の1/4に達し, 圧倒的なシェアを有する。

灘の主要な日本酒の銘柄として 白鷹・日本盛・白鹿・白鶴・沢の鶴・櫻正宗・菊正宗……などが名を連ね, それぞれ自社で資料館(博物館)を持って公開している。

灘五郷は, 酒造りに適した上質の酒米(山田錦)と, 六甲山に源を発する上質のミネラル水(宮水)が得られ, 製品の輸送に便利な港があったことから 日本酒の名産地となったと言われる。特に 宮水は清酒の命であるとして 現在でもその保存に力を入れており, 芦屋川から津賀川にかけての 地域 (六甲山から海岸まで) での ビルの建設・地下構築物の建設をする際には 必ず, 地下水に悪影響を与えないよう事前に関係者と協議を行っているという。


2018年3月現在、周辺の整備が進んだようで、碑の周囲もかなりすっきりとしていた。松尾神社の周囲を囲む石で出来た玉垣は酒造会社が奉納したもので、こちらもきれいに磨かれていた。

参考:灘五郷酒造組合

写真

  • 灘五郷酒造の発祥地
  • 灘五郷酒造の発祥地 碑文
  • 生田神社 楼門
  • 灘五郷酒造の発祥地 碑文(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 碑版側面(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社 玉垣(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社 玉垣(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社 玉垣(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社 玉垣(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社 玉垣(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社 玉垣(2018)
  • 灘五郷酒造の発祥地 松尾神社 玉垣(2018)

碑文

灘五郷酒造の発祥地

 神功皇后の御外征以来, 毎年三韓より使節が来訪しております。
 其の使者が入朝及び帰国するに当り朝廷では敏馬浦(脇浜の沖)で新羅から来朝した賓客に生田神社で醸造した神酒を振舞って慰労の宴を催しこれ等に賜るのが例でありました。
 この酒は「延喜式の玄蕃寮」によ ると生田, 広田, 長田(以上摂津国) 片岡(大和)の四社より稲五十束ずつを持ち寄り, 稲束二百束とし生田神社の境内で生田の社人に神酒を醸造させたもので, この神酒で新羅の要人の宴を賜ったと記されております。 これが灘五郷酒造の始めと伝えられておりまして, 酒造王国の発祥地は実は当生田神社であると言われております。
 以上により当神社境内に「酒の神」 松尾神社が末社として奉斎せられております。

松尾神社 御祭神 大山咋神おおやまくひのかみ

奉納
株式会社 カネヒ小川商店
おがわ園
代表取締役 小川博史

地図

地図

中央区下山手通1丁目 付近