日本 発祥の地
にっぽんはっしょうのち
薩摩半島の西部、加世田市。市の中心部から3kmほど南に、
「日本発祥の地」とは突拍子もない命名のように思われるが、この名前は日本神話から来ている。
日本書紀・古事記には、
加世田市の西、野間半島に“
「笠沙宮跡」は現在は単に大きな立派な石碑があるだけで、周囲はテニスコートが何面もとれるほどの公園になっている。ここに加世田市教育委員会による次のような説明碑が建てられている。
笠狭宮跡 かささのみやあと
瓊瓊杵尊 は、吾田 の長屋の笠狭 の碕 [日本書紀]に上陸後、朝日の直刺 す国、夕陽の日照 る国、甚吉 き所[古事記]といって、ここに宮居 を建てたという。
後世、これを笠狭の宮といい、この地を御座屋敷 とよんでいる。
前方の竹屋ヶ尾 は、尊 の后、木花開耶姫 が、彦火火出見尊 をお産みになった所といわれている。
瓊瓊杵尊は、その後、宮原 ・川内(可愛山陵 )に移ったという。
この碑は戦前、鹿児島県が神話ゆかりの地として、ここを指定したとき建てられたものである。加世田市教育委員会
写真
碑文
日本発祥の地
この地は天孫瓊々杵尊が
日向の高千穂の峯より
天降り
木花開耶姫を妃として
最初に皇居を定められた
笠狭之宮の跡で
火照命火須勢理命
彦火々出見尊の
三皇子降誕の地でもある
吾等この地に
生を享ける者として永く
祖先の遺跡を留めるべく
神話日本発祥の地の
碑を建立するものである。紀元二千六百参拾四年十二月
発起人芳名等は省略