狭山茶 発祥の地
さやまちゃはっしょうのち
東武東上線 ふじみ野駅から南西に4.2km、多福寺(入間郡三芳町上富1542)境内に標柱が建つ。多福寺は、川越藩主柳沢吉保が進めた三富新田の開拓に伴い、元禄9年(1696) 8月に開拓農民の菩提寺として建立された臨済宗の寺院である。
三富では開拓に伴って茶の栽培も行われ、多福寺の境内がその中心となった。寺の住職であった洞天和尚が境内に茶を植え、その茶の種子を開拓農民に分けたことから、茶の栽培が三富の各農家へ広がったとされる。こうして生産された茶は「三富茶」と呼ばれ、三富新田を代表する農産物となった。
三富新田では、畑の周囲に茶を植える畦畔茶の形でも栽培が行われた。茶の木は農作物として利用されるだけでなく、武蔵野台地の強風から畑の土を守る役割も果たしたとされる。川越地域では三富新田の開拓以前から茶の栽培が行われており、三富における茶栽培は、こうした河越茶の歴史を受け継ぎながら発展したものである。
なお、「狭山茶」という名称が成立するのは後の時代である。明治8年(1875) に現在の入間市黒須で「狭山会社」が設立され、輸出用製茶の統一ブランド名として「狭山茶」の名称が用いられた。それ以前には、この地域の茶は「河越茶」などと呼ばれていた。
「狭山茶」の「狭山」は、現在の狭山市を指して付けられた名称ではない。もともとは、現在の入間市南部から東京都西多摩地域にまたがる狭山丘陵、およびその周辺の古い地名「狭山」に由来する。狭山丘陵北麓の現在の入間市宮寺付近などで江戸時代後期に本格的な煎茶生産が始まり、そこで「狭山茶」という名称が使われるようになった。
その後、先述のように明治8年(1875) に現在の入間市黒須で「狭山会社」が設立され、周辺で生産されていた茶の名称を「狭山茶」に統一した。つまり、狭山茶のブランドが形成された中心は現在の入間市側であり、現在でも入間市が最大の生産地である。
一方、現在の狭山市は、昭和29年(1954) 7月1日に入間川町、入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村の1町5村が合併して誕生した。市制施行時に「狭山市」という名称が採用されたのは、当時すでに全国的に知られていた「狭山茶」の名称を採ったためである。
そのような理由で、古い地名と現在の市名が逆転している。
- 「狭山茶」→ 狭山丘陵・狭山という古い地名に由来
- 現在の入間市 → 古くは広い地域を指した「入間郡」の名を採用
- 現在の狭山市 → 「狭山茶」のブランド名を採用
そのため、狭山茶の主産地である入間市には「狭山」という市名がなく、狭山丘陵から離れた現在の狭山市が「狭山」を名乗るという、一見すると逆転した状態になったのである。入間市博物館はこれを「入間の狭山、狭山の入間」とも表現している。
現在の狭山茶は入間市・所沢市・狭山市などを含む広域の茶産地の名称であり、「狭山茶の発祥地・名称の由来」と「現在の狭山市の市名の由来」は別の話と考えるのが正確である。
三富三村の菩提寺である多福寺
— リン (@rin_geography) October 3, 2021
多福寺建立前は、上富と中富・下富で菩提寺が異なったらしい。
「三富山」という山号なのも良い。平地林を感じさせる境内には県文化財の銅鐘、上富を支えた井戸、ほんとかよって感じの狭山茶発祥の地の碑など色々とありました。 pic.twitter.com/lngKYyu8UU
写真
碑文
伝承 狭山茶発祥の地 多福寺
コメント