西洋 医術 発祥記念像
せいよういじゅつはっしょうきねんぞう
大分駅の北東700m。城址公園から南に伸びる 大手通り(大分県庁の西側)の中央部分は細長い公園となっていて 遊歩公園(大分市府内町3丁目10)と呼ばれ,数多くの彫刻や石碑が建てられている。その中に「西洋医術発祥記念像」と書かれた彫刻とその由来を記した石碑がある。彫刻は,アルメイダが日本人助手と共に右足の手術を始めようとしている場面を現している。
日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは,室町時代末期の1549(天文18)年に 鹿児島・平戸・山口などで布教活動を行い,1551(天文20)年に大友宗麟(豊後国の大名)に招かれて大分に渡った。
このため大分は日本に於ける宣教の中心地となり,早い時期から西洋文化が取り入れられた。しかしその多くは ザビエルとともに布教にたずさわった ルイス・デ・アルメイダによるところが大きい。
アルメイダは ポルトガル生まれの貿易商で,東洋貿易で財をなした。医師免許をもつアルメイダは1552年に貿易目的で来日。日本の民衆の困窮を目撃し,大分にとどまって私財を投じて乳児院を設立。牛を飼って牛乳で孤児を育てた。これを記念する育児院と牛乳の記念碑も近くに建っている。
さらに大友宗麟の援助を受けて日本初の洋式の病院を建てた。これは シーボルトが長崎に渡来するより 270年も前のことであり,日本に西洋医学が導入されたのはこれが最初である。
日本人助手と共に病院を運営していたアルメイダは,1558年には医学教育も開始し医師の養成を行い,また九州全域をまわって医療活動を行うなど高い名声を得たが,1583年天草で没した。冒険商人から無償奉仕の医師へと転身し,病人と乳児に尽くした彼の業績を顕彰して,1969年に大分市医師会が開設した 救急救命センターはアルメイダ病院の名称がつけられている。
写真
碑文
西洋医術発祥記念像
日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルが,国主大友宗麟の招きによってこの地で布教したのは,1551年(天文20年)のことであ った。
それから僅か6年後の1557年(弘治3年)には,この地に早くも日本最初の洋式病院が建ち,ポルトガルの青年医師アルメイダによって内科はもとより,日本最初の洋式外科手術が盛んに行われた。
病院には外来のほか入院の設備もあって,1562年(永禄5年) には入院患者が百人を超えていた。さらに病院に来ることのできない患者のために巡回診療も行われていた。患者はこの新しい南蛮医術にあこがれ,はるばる京都や関東からさえ訪ねて来たと,当時の記録は報じておる。
またこの病院に日本最初の医学校が併設され,若き日本人学生が西洋医学を学んだ。
時は流れ世は移り,今この史実を知る人はきわめて稀である。我が社は創業8周年記念事業として,日本芸術院会員彫塑家古賀忠雄先生に依嘱してこの記念像を造り,これを大分市民に贈る。
像はアルメイダが,日本人助手と共に外科手術を始めようとしているところである。昭和47年10月31日
株式会社マリーンパレス
取締役社長 上田保