我国 西洋 歯科医学 発祥の地

せいようしかいがくはっしょうのち

かつては縁の地ということで、中区山下町の駐労会館(現 駐労福祉センター)前に設置されていたが撤去、当地 神奈川県歯科医師会前に移設された。

横浜開港の2年後、アメリカ人歯科医 イーストレーキが 博物学者として東洋の昆虫採集のため来日し、生活の手段として 横浜に歯科診療所を開設した。治療活動のかたわら 日本人歯科医師の育成にも努力した。

記念碑のあるこの地は イーストレーキの診療所ゆかりの地である。

この発祥の地碑の 北東約500mの場所に, 「西洋歯科医学勉学の地」という記念碑がある。

イーストレーキとは別に, セント・ジョージ・エリオットは, 明治3年(1870) にこの地で歯科診療所を開業, 後任の ハラック・マーソン・パーキンスは 多くの日本人に歯科医学の指導を行った。この時代には多くの外国人が日本に近代医学・科学を 日本にもたらしたことがわかる。

写真

  • 西洋歯科医学勉学の地
  • 西洋歯科医学勉学の地 移転説明板
  • 西洋歯科医学発祥の地
  • 西洋歯科医学発祥の地 移転案内板
  • 西洋歯科医学発祥の地 背面
  • 西洋歯科医学発祥の地
  • 神奈川県歯科医師会館

碑文

エリオット(W. St. G. Elliott, 1838〜1915?)、パーキンス(H. M. Perkins,生没年不明)は明治3(1870)年〜明治14(1881)年頃に横浜の外国人居留地57番と75番で歯科診療を行っていた米国人歯科医師である。

彼らのもとで西洋歯科医学の知識、技術を習得した日本人により、その後の歯科界が発展する。

エリオット門下の小幡英之助は明治8(1875)年に医術開業試験に合格して初の開業歯科医となり、明治36(1903)年に設立された大日本歯科医会(日本歯科医師会の前身)の名誉会長を務めた。パーキンスに師事した林譲治、関川重吾は、後に神奈川県歯科医師会の初代会長、第二代会長となった。

このほか、エリオット門下には佐治職、パーキンス門下には西村輔三、渡辺晋三、太田吉三郎(堀内清顕)、山田利充、黒田虎太郎がおり、松岡万蔵は両者のもとで従事した

これらのことを踏まえ、神奈川県医師会は平成7(1995)年、中区山下町57に「西洋歯科医学勉学の地」記念碑を設置し、その後、平成22(2010)年に現在の場所(中区住吉町6-68)に移設した

平成28年10月
神奈川県医師会


W. St. G. Elliott (1838 - c.1915) and H. M. Perkins (birth and death unknown) are American dentists who practiced dentistry at No.57 and No.75 in the Foreign Settlement in Yokohama from around 1870 to 1881.

The Japanese who trained under them acquired dentistry skills that helped expand dental medicine in Japan.
Einosuke Obata, who trained uner Elliott, was the first Japanese dentist to pass the medical licensing examination in 1875. He served as honorary president of the Imperial Society of Dentists o Japan (predecessor to the Japan Dental Association), established in 1903. Joji Hayashi and Jugo Sekikawa, who trained under Perkins, later became the first and second presidents of the Kanagawa Dental Association, respectively.
Othe Japanese dental professionals include Tsukasa Saji, who trained under Elliott and Sukezo Nishimura, Shinzo Watanabe, Kichisaburo Ohta (Seiken Horiuchi), Toshimitsu Yamada and Torataro Kuroda, who trained under Perkins, and Manzo Matsuoka, who trained under both dentists.
In honor of these historic achievements, in 1995 the Kanagawa Dental Association built a monument to commemorate the origin of the study of Western dental medicine at No.57 Ymashita-cho, Nakaku, In 2010, the monument was moed to its current location at No.6-68 Sumiyoshi-cho, Nakaku.

October 2016
Kanagawa Dental Association

米国人イーストレーキ(W.C.Eastlack, 1834〜1887)は幕末に来日し、横浜の外国人居留地108番に日本で初めて西洋式の歯科診療所を開いた。いわば、近代的な西洋歯科医学を日本に伝えた人物である。彼のもとで長谷川保兵衛、安藤二蔵、佐藤重は西洋歯科医学の知識、技術を学び、我が国の歯科界が発展する礎となった。

このことに鑑み、神奈川県歯科医師会は昭和60(1985)年に中区山下町160に「我国西洋歯科医学発祥の地」記念碑を設置し、その後、平成22(2010)年に現在の場所(中区住吉町6-68)に移設した

平成28年10月
神奈川県歯科医師会


At the end of the Tokugawa reign, Amarican dentist W. C. Eastlack (1834 - 1887) arrived in Japan and opned the country's first Western-style dental clinic at No.108 of the Foreign Settlement in Yokohama. He was the first person to bring modern Western dental medicine to Japan.
Under Eastlack's tutelage, Yasubei hasegawa, Jizo Ando and Shigeru Sato acquired their skills in Western dentistry and laid the foundation of dental medicine in Japan.
In honor of this historic milestone, in 1985 the Kanagawa Dental Association erected a monument to commemorate the birthplace of Western dental medicine in Japan at No.160 Yamashita-cho, Naka-ku. In 2010, the monument was mobed to its current location at No.6-68 Sumiyoshi-cho, Naka-ku.

October 2016
Kanagawa Dental Association

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中区住吉町6丁目 付近 [ストリートビュー]