嶋根歌舞伎 発祥 公演之地
しまねかぶきはっしょうこうえんのち
東武鉄道 伊勢崎線 西新井駅から600m北東に,日蓮宗 国土安穏寺がある。本堂の向い側の樹木に隠れるように大きな石碑が建つ。
歌舞伎役者が歌舞伎座などで演じる歌舞伎を“大歌舞伎”と呼ぶのに対して,農村部などで素人が演じる歌舞伎は“地歌舞伎”あるいは“農村歌舞伎”などと呼ばれる。地歌舞伎は 江戸時代から明治・大正時代まで全国的に盛んに行われていたが,大戦前後には衰退した。
しかし 昭和40年代ごろから復活の動きが活発となり,現在は長野・岐阜・愛知などを中心に 全国で約200団体が活動しているといわれる。代表的なものには 美濃歌舞伎(岐阜県)・播州歌舞伎(兵庫県)・相模歌舞伎(神奈川県)などがある。
足立区島根地区で行われた「嶋根(島根)歌舞伎」は,はっきりした資料は見当たらないが,江戸時代に始まったと考えられ,明治~昭和にかけて盛大に行われていたが,戦争で中断し,戦後昭和21年(1946)と25年(1950)に行われたのを最後に立ち消えとなっている。近くの島根鷲神社(島根4丁目)には,“島根歌舞伎記念碑”が建立されている。
写真
碑文
郷土芸能
嶋根歌舞伎発祥公演之地日蓮宗第四十五代管長 大僧正 文妙院日威
彰徳
江戸時代二代秀忠 三代家光両将軍の帰依をうけた当山安置の開運誦経日蓮大菩薩の尊像は 季開扉 御成跡開帳 居開帳 宝物弘通等によって近郷近在信徒の益々の尊崇を受けるにいたった
殊に宝暦十二年四月一日より牛込宗柏寺 文化元年四月一日より芝円珠寺を宿寺として それぞれ六十日間に及ぶ公許の江戸出開帳は隆盛を極めたという この間本寺中山貫主 祖林中村化主 法縁々頭 そして法類の各寺主の高座説教や霊宝開帳 加えて江戸や近在の取持講中の協力が大であった それは彼ら愛好家による宗祖日蓮大聖人御一代記を演じた郷土芸能嶋根歌舞伎の公演が特記されるのである
その後上記に加え一般出物も当山龍口法難会や御会式捕夜等に上演され 信仰の増進と村民生活に潤いを与えて来た
而るに第二次世界大戦をもって後継されずに今日にいたる 今少数の出演経験者は知り得る限りの先輩 同僚各位の氏名を刻し その事績を後世に伝えんとす 真に感賞すべし 天下長久山々主 合掌維持昭和六十二年九月吉祥
第四十九世伝灯 新井日湛識
物故者・後援者・発起人 (氏名略)