島津製作所 創業之地
しまづせいさくしょそうぎょうのち
二条大橋から 西に100m、二条通りと木屋町通りの交差点に 「島津創業記念資料館」がある。島津製作所は,1875(明治8)年に 島津源蔵が設立した 計測器・精密機器メーカー。この建物は 創業者・島津源蔵の住宅兼研究所として 明治20年代に建てられた町屋形式の建物で, 現在は 国の重要文化財に指定されている。
資料館の向かって左側に「島津製作所創業之地」と書かれた 石柱と 説明板が建っているが, さらにその奥に 鉄柵に囲まれて 石碑があるのが見える。この石碑は, 島津源蔵の生誕100年を記念して 建てられたもので, こちらが本当の“創業碑”である。石碑には「源遠流長」という文字が刻まれ, 「創業以来の島津の事業は 川の流れのように発展する」という意味が込められているという。
写真
碑文
島津製作所創業之地
創業碑
この付近一帯は, わが国近代科学技術発祥の地の一つに あげられている。
明治の初期ここ「一の船入」は高瀬舟の終着地として交通の 要衝であり, 二条通りを隔てて東北に京都舎密局 (現ホテル フジタおよび銅駝美術工芸高等学校の地)──いまでいう工業試験場──が, 南には勧業場(現京都ホテル・オークラの地), 栽培 試験所(現京都市役所の地), 西には繊殿(現日本銀行京都支店の地)と, 当時最新の西欧文化を取り入れた理化学工芸を中心とする殖産施設が設けられ, 近代科学技術の波紋を全国へ広げていった拠点である。
明治8年(1875年)島津製作所の創業者初代島津源蔵 (天保10年, 1839年~明治27年, 1894年)はこの地を選んで, わが国で初めて理化学器械製造の業を興し, 二代目島津源蔵 (蓄電池製造法の発明で十大発明家の一人に選ばれる)がこれを継いだ。父子は「科学立国」の情熱を燃やし, 理化学器械の製造や, 新技術, 新製品の開発を通じてわが国科学技術の発展に尽した。 今日の島津製作所の始めである。
碑は昭和13年初代源蔵生誕100年にあたり島津製作所ゆかりの人たちが先覚者への思慕と事業の発展を祈念してここ創業の地にこれを建てた。
碑文の「源遠流長 」は故九鬼龍一男爵の揮毫になる。 北側に続く建物は明治中期の島津製作所の事業場で, いまに その面影を残している。