篠路 歌舞伎 発祥の地
しのろかぶきはっしょうのち
学園都市線 篠路駅から 南へ800m。百合が原小学校と篠路自動車学校の ほぼ中間。 畑のど真ん中の周辺に何もないところに ポツンと, 北区が建てた説明板がある。
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昭和30年(1955) に篠路村は札幌市と合併, 昭和47年(1972) に札幌市北区となった。
「篠路歌舞伎」は 全国各地で行われた 農村歌舞伎の一つで, 明治35年(1902) に当時の篠路村烈々布部落で始まった。 最初は 秋祭り奉納の余興として神社の境内で演じられたが, 後には 集合舞台施設 「烈々布倶楽部」で演じられるようになった。花岡義信(大沼三四郎)を座長とする一座は一時 団員50人にもなった。
昭和に入り 交通網の発達や娯楽の増加など社会背景の変化により 地域の芸能が衰退していき, 1934年の興行を最後に その幕を閉じた。
昭和60年(1985) に篠路コミュニティセンター開館を記念して 地元有志が歌舞伎を上演し, これをきっかけに「篠路歌舞伎保存会」が発足。現在は「篠路子ども歌舞伎」として 継承されている。
その後、地域の都市化が進み、道路が整備され、表示が新調されて、車道と歩道の境に移った。住宅だけでなく商業施設も建設され、畑地は姿を消しつつある。
写真
碑文
北区歴史と文化の八十八選
篠路歌舞伎発祥の地
かつてこの付近一帯が烈々布(れつれっぷ)と呼ばれていたころ, この村の農村青年を中心に歌舞伎が華やかに演じられていた。最盛期には花道や回り舞台をも備えた篠路歌舞伎は, 全国の農村歌舞伎の中でも特異な存在とされている。 一流の出し物, 傑出した演技で旧篠路村内外にその名をとどろかせた一座は, 遠く道内各地へ巡業に乗り出したという記録もある。
明治35年(1902年)にはじまり昭和9年 (1934年)に消滅したが, 北海道農村芸能史の大きな遺産のひとつである。
当地から西へ150メートルの地に, 篠路歌舞伎座長として活躍した花岡義信之碑(本名 大沼三四郎)がある。平成16年4月
札幌市北区役所