種まき 兎 伝説 発祥の地
たねまきうさぎでんせつはっしょうのち
福島市立医大病院の北、蓬莱3丁目のズラリ建ち並ぶ団地の西の果ての小広場に、立派な石柱が建ち、手書きの案内看板も並ぶ。
日照り続きの年、拾った兎がトンビにさらわれ、さらわれた先の山を見ると雪兎が現れており、そちらに向かって雨乞いをすると水が湧き出たという伝説。この場所から吾妻富士が見えるのかとも思ったが、訪問時は雨模様で見えるとも見えぬともわからなかった。
なお、吾妻小富士に雪兎が現れるというのは地域の春を告げる風物詩となっているようだ。
写真
碑文
吾妻山 種まき兎伝説発祥の地
蓬莱町三丁目(旧田澤字兎田)
維持 平成九年五月十日「種まき兎」伝説実行委員会
長秀東堂透宗書
吾妻山の「種まき兎」の原話
西嵯峨 柚翁識
昭和十一年頃
話者 渡利小倉寺 加藤白山翁
採集者 同 中山 長沢幸四郎
校訂者 鎌田丸子 香内佐一郎むかし 田沢村の
兎田 に身 なし子がいたど、山の奥さ小さな田畑をつくって くらしていた。ある日 山で 親子の兎を ひろってかわいがっていた。
そのころ このあたりは、日でりがつづいて 田植えができない ひどい不作 の年だった。
村人は 田沢の貝沼 (皆沼)は、西山の雷沼 (東屋沼 の底 とつながっていて、吾妻権現 がまつられていたのでここで 雨乞いをしたが、さっぱりききめがなかった。
そこで村人は山伏 の先達 (あんない)で 大ぜい雨笠、みの 着て 吾妻山さ登って雷沼 に「雨たんもれ龍王 やーイ」。といったが、一つぶの雨もふらなかった。
身なし子も うら山さ登って拝んでいると、二羽のトンビが天高くとんでいた。
「トンビ ぴいひょろろ 目廻 してみせろ」というと トンビは急に谷へおりていって、白いものをわしずかみにかっさらって西山 の方さ 飛んでいってしまったど。飛んでいった先をみると、たまげた。吾妻小富士の横はらに、親子うさぎの雪形 が ありありとあらわれていた。
トンビにさらわれた親子うさぎは、じつは山神 になっていたんだど。
そこで 小富士の神に「雨たんもれ龍王 やーイ」と拝んで 山をおりてみると、びっくりした。
家の前 の岩室 から 水がこんこんにわいて 川さ 流れていたど。「これはありがたい」と 田んぼに水をひき、種をまいた。
村人にもおしえたら、秋になって 村中豊年万作 になって、みんな福しくなり、その子は 大きくなると、長者様 になったど。
それから その他を「兎田 」(兎田 )と、吾妻山の雪形を「種まき兎」とよぶようになり、いらい種まき、蚕 の掃立 の目安となって、村は栄 もうしたど。平成九年五月
「種まき兎」伝説実行委員会