鶴ヶ島 発祥の地
つるがしまはっしょうのち
東武東上線 坂戸駅の南約500m、国道407号から関越道鶴ヶ島I.C.の入口北側に、いくつかカーディーラーが並んでいるが、その一つマツダの店舗横に大きな松の木と「鶴ヶ島市指定史跡」という白い標柱があり、それらとならんで発祥碑が建っている。
この辺りは昔“脚折”という地名で、南方の“雷電池”方面から流れ出る清水によって水田や沼地が広がっていた。その中に小高い島状の地があり、そこにあった松に鶴が巣篭もったことから「鶴ヶ島」という地名(字名)が付けられたと伝えられている。
これが鶴ヶ島市の地名の由来である。
写真
碑文
地名
「鶴ヶ島」発祥の地記念碑「鶴ヶ島」の由来は、その昔この島の松の木に鶴が巣籠ったからだといい伝えられています。その時代は伝承によると、上杉家が関東管領の節といわれ、上杉家の家臣太田道灌が川越城を築いた長禄元年(1457)頃のことです。
この島は最近まで、泥深い湿田に取り囲まれ、四周の台地には、人家は一軒もなく、うっそうと「叢林」が生い茂っていました。500年くらい前には、雷電池はずっとずっと広く、そこから湧き出る清水がこの島の周囲を幾筋もの細流となって取り巻き、このあたり一帯を芦荻(あしおぎ)生い茂る沼沢地にしていたと思われます。人影もないこの静寂な別天地で、松の樹に鶴が巣を作り、ひなを育て、やがて大空高く飛翔したというのです。この松は男女相生で、明治初年には、老松だったと記録されていますが、その後野火に焼けたりして、現在は三代目の松だと言われています。
近年、近代化の波により国道407号が南北に走り、関越自動車道が東西に横断し、区画整理のために周囲が埋め立てられ、昔の面影をしのぶ姿はもうすっかりなくなってしいました。しかしこの地は市に残る数少ない史跡であり、特に「鶴ヶ島」発祥の地でもありますので、遠い祖先から今日まで大切に保存してきた多くの人々と同心持ちで、未来に伝えていきましょう。
平成3年9月1日
鶴ヶ島市指定史跡(昭和49年11月指定)
鶴ヶ島市教育委員会平成18年1月25日
名称変更により改めて指定