魚河岸 発祥の地
うおがしはっしょうのち
根室本線 釧路駅から南南西に1.2km。釧路川に架かる
釧路沖は“世界の三大漁場”の一つといわれる豊かな海を擁して,全国的に有数の漁業基地である。釧路港では一時期130万トンを超える水揚げ量があり,水揚げ量日本一を20年以上も維持していたこともあった。特に 明治末期からクロマグロの漁獲量が増えはじめ,昭和初年には 1万トンを超え“マグロの釧路か釧路のマグロか”とまでいわれるようになった。その後 昭和10年(1935) 頃からマグロ漁は減少し,イワシ・スケトウダラ・サバなどに替わっていった。
こうした水産業の盛況を背景に流通機構も整備された。明治40年(1907) この地に魚市場が開設され,昭和11年(1936) には 2つに分かれていた魚市場が統一されて“錦町魚河岸”となった。昭和35年(1960) に漁業専用の副港が完成すると魚市場もそちらに移転し,現在跡地は釧路フィッシャーマンズワーフという観光施設となっている。
- 釧路フィッシャーマンズワーフ
http://www.moo946.com/
写真
碑文
魚河岸発祥の地
釧路市長 鰐淵俊之 書
魚河岸発祥の地
- 明治四十年(一九〇七年)九月,釧路,札幌,函館間の鉄道開通する。
- 同年十一月三日,鉄道隣接のこの地に水印釧路魚菜市場が開場する。
- 同四十三年(一九一〇年)対岸の入舟町にも魚菜市場が開場する。
大正十四年(一九二六年)▲共同魚菜市場となる。昭和初期を最盛期の鮪市場として,全国に名声を博す。- 昭和十一年(一九三六年),両市場この地に集約され,一帯は錦町魚河岸といわれる。戦後,釧路経済復興の地として活躍する。
- 同三十五年(一九六〇年),副港に魚市場が完成し移転,同地で水揚日本一を実現する。
- 同四十四年(一九六九年),この地に消費向錦町市場が開場し,六十年(一九八五年),新富士町移転まで市民の台所として親しまれる。
- 平成元年(一九八九年)より,現釧路フィッシャーマンズワーフ(MOO)の地となる。
平成六年八月建立 釧路魚がし会
安藤聰空書
▲には、三鱗紋が記されている