標茶町 発祥之地
しべちゃちょうはっしょうのち
標茶町郷土館(標茶町字塘路1)入口近くに、碑が建つ。
「標茶」の町名は、アイヌ語で「大きな川のほとり」を意味する「シペッチャ (si-pet-cha)」に由来する。
安政5年(1858) に佐野孫右衛門が鮭番人を置いた記録が残り、明治18年(1885) 9月に戸長役場および釧路集治監が設置されたことをもって行政施行の年としている。翌明治19年(1886) には本施設となる釧路集治監の庁舎(後の北海道集治監釧路分監本館)が建設された。
明治18年(1885) の設置以降、囚人労働により道路の開削や硫黄採掘など地域の基盤整備が進められた。明治34年(1901) の集治監廃止後、施設は陸軍の軍馬補充部川上支部として使用され、馬産地としての歴史を刻んだ。
行政上は昭和25年(1950)に町制を施行し、それまでの標茶村から現在の標茶町となった。
写真
碑文
標茶町
発祥之地
明治十八年七月一日川上郡熊牛村四ケ村戸長役場がこの地に置かれ、初代戸超田沢熊作が此処に於て執務を開始した。
昭和五十年十一月建立
標茶町
北海道集治監釧路分監本館 標茶町指定文化財
昭和44年(1969年)12月、北海道立標茶農業高等学校敷地内に既設されていた北海道集治監釧路分監本館を標茶町発祥の地である当地に移築復元し、昭和45年(1970年)6月に郷土の開拓資料や動植物等の標本展示を目的に標茶町郷土館として開館した。「集治監は徒流刑に処せられたものを拘禁する所とす」とあって明治初期のころ国事犯などの囚徒が激増しその収監に頭を悩ませていた政府は「該囚をして遠地に発遣すべし、その地 たるや北海道に於て外になし役限満ちて郷土 に還るを廃し永住の産に就かしむべし」として明治18年(1885年)9月太政官達五拾弐号を以って標茶町に釧路集治監(後の「北海道集治監釧路分監」)を設置し、本施設は庁舎として明治19年(1886年)に建設された。明治34年(1901年)7月の廃止に至るまでの約16年間に収監された囚人(約18,552名)にとっては言語に絶する苛酷な労働を強いられたことは、多くの文献に残されている処である。
廃止後の施設は軍馬育成のため軍馬補充部上川支部として陸軍省の所属となり、多くの軍馬を飼育し終戦までその業務に当った。戦後間もなく北海道庁立標茶農業学校(後の標茶農業高等学校、現北海道標茶高等学校)設置によって、昭和21年(1946年)より同32年(1957年)まで学校庁舎として使用されたが、新校舎落成によって長い歴史の幕を閉じた。 町としては「貴重な文化財」として永久に保存するため復元したものである。移築後、標茶町郷土館として平成29年(2017年)8月まで使用された。
北海道開拓史において貴重な歴史を物語る本施設は、昭和41年(1966年)標茶町文化財第1号の指定後、平成21年(2009年)に経済産業省の近代化産業遺産として認定、平成30年(2018年)11月北海道遺産に選定された。標茶町
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