山口大学 創基の地
やまぐちだいがくそうきのち
山口線 山口駅から北に1.2km、一の坂川交通交流広場 公衆トイレ近くに石碑が建つ。
文化12年(1815) に長州藩士の上田鳳陽が創設した私塾「山口講堂」に遡る。鳳陽は、当時の山口の地が教育の場として適していると考え、中河原の私邸を塾舎として開放し、学問の普及に努めた。この山口講堂が、現在の山口大学へとつながる最古の源流である。
山口講堂は、天保10年(1839) に長州藩の公教育機関へと改編され「山口明倫館」となった。その後、弘化4年(1847) には藩庁の意向により、より広い敷地を持っていた萩の明倫館へと統合される形で一度廃止となったが、山口の地における教育の灯は途絶えなかった。文久3年(1863) に藩庁が萩から山口へ移転したことに伴い、再び山口の地に明倫館が再興された。
明治時代に入ると、これらの教育基盤を引き継ぐ形で教育制度の近代化が進んだ。明治27年(1894) には旧制山口高等学校が設置され、大正11年(1922) には山口高等商業学校へと発展した。そして、昭和24年(1949) の戦後学制改革により、旧制山口高等学校、山口経済専門学校(旧山口高等商業学校)、宇部工業専門学校、山口師範学校、山口青年師範学校、山口獣医畜産専門学校の官立6学校が統合され、新制国立大学としての「山口大学」が発足した。
写真
碑文
山口大学創基の地
(山口講堂跡)山口大学は、1815(文化12)年長州藩士の上田鳳陽によって設立された私塾「山口講堂」を創基としています。
2014年(平成26年)3月25日
山口大学長 丸本卓哉山口大学創基二百周年記念事業
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