四街道 地名 発祥の地

よつかいどうちめいはっしょうのち

総武線 四街道駅から 線路沿いに西に500mほど進むと, 斜めに交わる “四街道十字路”に行き着く。交差点の東角, 大きなエノキの木の下に 高さ30cmほどの道標(石碑)と, 「四街道地名発祥の地」と書かれた説明板が建っている。

ここは 古くから四つの街道が交差していた場所で, 明治14年に建てられた道標は 「よつかどの碑」と呼ばれて 今に残されている。道標の四面には 「北 成田山道」「東 東金・馬渡道」「南 千葉町道」「西 東京・船橋道」と刻まれ, そばのエノキの木は 一里塚の目印だった。四つの道がここから分れていることにより 「四街道」の地名となった。

道標が建てられた当時, 四街道は“下志津原”と呼ばれ, 見渡す限りの野原が広がる場所だった。1894(明治27)年に 総武鉄道が開通して 四街道駅が開設され, 1897(明治30)年には 陸軍砲兵射撃学校が当地に開設されたのをきっかけに, 旧陸軍の施設を中心に「軍都」として発展し 太平洋戦争まで続いた。

戦後は 農業開拓者の入植が進み, 農業中心の田園都市が形成され, 1955(昭和30)年に 隣接町村と合併して 四街道町が誕生。昭和40年代から 大型の住宅団地が建設されて 首都圏のベッドタウンとして急速に人口が増加, 1981(昭和56)年には 四街道市となった。


2011年までのストビューでは見られるが、2013年版になると榎が消失している。調べてみると、2013年5月の強風の影響で根元が割裂、倒壊は免れないとのことから急遽伐採したとのこと。

写真

  • 四街道地名発祥の地 説明板
  • 四街道地名発祥の地 道標
  • 四街道地名発祥の地 保存樹説明
  • 四街道地名発祥の地 保存樹

碑文

市指定文化財

四街道十字路の道標石塔
(四街道地名発祥の地)

昭和58年4月指定

この道標石塔の各方向には, 次のような道案内が書かれています。

  北 成田山道  畔田村 願主 囃子佐野右衛門
  南 千葉町道  明治14年12月吉日(1881年)
  東 登宇がね・馬渡道
  西 東京・船橋道     当村世話人
               佐久間澤右エ門・佐久間源治郎
     寸法 117.0x33.0x20.0cm

この道路標識が示すようにここは四つの道が交わるこ とから「四街道」という地名が生まれた場所です。

昭和62年2月

四街道市教育委員会

地図

地図

四街道市四街道1丁目 付近 [ストリートビュー]