揚繰網 発祥之地

あぐりあみはっしょうのち

総武本線の旭駅から 南に3km。九十九里浜の海岸線に沿って走る 九十九里ビーチライン(県道30号)と平行して 海側を走る道路に面して, こじんまりした“磯なぎ荘”という割烹旅館の建物がある。 ここから 100mほど西の砂浜に「揚繰網発祥之地」の黒い石碑が建っている。

ここは“矢指ヶ浦やさしがうら海水浴場”の中心部で 砂浜が大きく広がっている。 公園風になったこの場所は 屋根つきのベンチもおかれている。その横に 背の低い灌木が防砂林として 長々と植えられていて, 発祥碑は この林の陰に 隠れるように建っているため, 発見するのが大変困難である。

この発祥碑は 改良揚繰網漁法の開発・普及に功績のあった 石橋太郎兵衛・千本松喜助の二人の功績を 顕彰する内容で, 1996(平成8)年に建立された。九十九里浜では 古くから地引網によるイワシ漁が盛んで, 江戸から明治時代まで 大変に栄えた。

一方 揚繰網は“巾着網”とも呼ばれ, 魚群を網で囲い込み 狭く絞り込んでいって獲る漁法。 2隻の船で網を入れて魚群を囲い込み, 魚が逃げないように 底の部分を早く閉じる“改良型揚繰網”が 明治時代に導入されて 急速に普及し, 漁獲量が大幅に増えて 全国の漁業の発展に大きく貢献した。

安政年間に現在の静岡県庵原郡由比町で発明されたとされるカツオ揚繰網あぐりあみをもとに、海上郡浦賀村椎名内浜(現在の旭市椎名内浜)の漁師によって考案された改良揚繰網は、それまでの地引網に比べ、イワシの漁獲量を大幅に増やした。

1996年(平成8年)3月建碑

参考:京葉銀行予備.pdf

写真

  • 繰網発祥の地 背面
  • 繰網発祥の地
  • 繰網発祥の地.

碑文

揚繰網発祥之地

農林水産大臣 野呂田芳成書

 九十九里海岸が開発され,以来六百余年鰯はこの地域を支え発展させた代表的漁獲物として今日に及んでいる。これには伝来の地曳網漁法に加え漁獲高を飛躍的に増大させた改良揚繰網漁法の存在を忘れることは出来ない。この漁法は,ここ海上郡浦賀村椎名内浜(現旭市椎名内浜)で累代漁業に従事した石橋太郎兵衛により創案工夫され,実用化されたと伝えられる。
 明治二十一年八月某日,椎名内浜の沖合で完成した揚繰網漁法の公開試用は,大成功を収め,その実況を見た関係者一同,性能のすばらしさに驚嘆したと伝えている。
 同浜の住人千本松喜助も,この漁法の優秀さに注目 幾多の苦難を克服してその追試に成功,その漁法の普及喧伝に尽力,県内は勿論広く日本全国を行脚し,揚繰網の製法,操法など指導し,各地で感謝されたという。従って,この椎名内浜が「揚繰網発祥の地」の栄誉と誇りを維持し,功績を讃えられるのは,石橋,千本松両先賢の堅忍不抜の努力と協力に負うものと評価されよう。加えて,昭和四十三年十一月,明治百年を記念し,農林漁業に尽くした功績に対し,両先賢に等しく顕彰状が追贈された。国,県,市が改めて両先賢の偉業を追認された証左と確信する。
 「現代の漁業史」(平沢豊著 日本の漁業)にも,二艘式改良揚繰網は,石橋,千本松両氏の発明,普及,尽力によると銘記されている。創案実用化より百余年現在も活用され水産業の隆昌発展の大きな礎となっている。
 画期的漁法として全国的に今なお活用されている揚繰網漁法(現在は旋網漁法)が,ここ椎名内浜で,両先賢の苦難を乗り越えた努力と協力で創案,普及されたことは,吾が市,吾が地域の誇りである。私達発起人は,両先賢の栄誉を敬仰し,称賛し,後世に伝えるため,茲に,「揚繰網発祥の地」記念碑を建設すべく,「建設促進委員会」を結成,地元始め,近隣の漁業関係機関並びに漁業関係者各位に,建設資金の御協力,御支援を仰ぎ,後世に遺業を伝える記念碑を完成し得たことを心から喜び,感謝するものである。

平成八年三月吉日

「揚繰網発祥之地」
記念碑建設委員会 撰

  海匝漁業協同組合
  千葉県旋網漁業協同組合
  銚子市漁業協同組合
  波崎町漁業協同組合
  九十九里町漁業協同組合
  旭水産加工業協同組合
   ・・・・
    (以下略)

地図

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矢指ケ浦海水浴場 付近