江口の鵜飼 発祥の地
えぐちのうかいはっしょうのち
東海道本線 西岐阜駅の北、長良川右岸に並行する岐阜県道163号 墨俣合渡岐阜線の下、農家の集出荷場倉庫のような建物の建つ敷地の隅に表示板が建つ。
「江口の鵜飼」が何かとくべつとうこともなく、その地域を指し示している。河川は古来から流れを変えながらきたが、現代においては治水整備により川の流れはほぼ固定されている。長良川も例外ではなく、それにより鵜飼もあちらにこちらにと場所を転々としていたと推察される。その変遷のうちのひとつ、江口地域では1400年代には鵜場だったということだ。
なお、木目プリントの鋼板(?)にカッティングシートの表題部。耐候性カッティングシートでも一般的に7〜10年という感じなので、貼り直すなり恒久的なものに取り替えるなり、何か考えた方がよさそうですね(余計なお世話)。
写真
碑文
江口の鵜飼発祥の地
史跡 江口のわたしひょうたん島まちづくり協議会
平成20年3月吉日江口鵜飼発祥の地
岐阜県長良川の鵜飼は、千三百年の歴史を有しています。古代、鵜飼郷にいた鵜飼部一族により行われていた鵜飼は長良川河川の変遷により、中世には、江口付近が鵜場になりました。文明五年(一四七三)五月十七日、京都の公家一条兼良は、美濃守護代斎藤妙椿の招きを受け、江口で船に乗り鵜飼を見物しました。
月出ぬほど、江口に出て鵜飼を見る。六艘の舟にかごりをさしてのぼる・・・鵜の魚をとるすがた、鵜飼の手縄を扱ふ躰など・・・
言のはにも述べがたく、あはれともおぼえ、又興を催すものなり・・・「藤川の記」
と、中世後期の長良川における鵜飼の様子を、まことに生き生きとした文章で描かれています。
「藤川の記」にみる鵜飼の漁法や、これを鑑賞する者の情感は、現代まで変わることのない姿を示しています。
江口の渡し
(略)