船木田郷 発祥の地
ふなきたごうはっしょうのち
小田急線 本厚木駅から北に1km。市立厚木小学校の100m北に“船喜多神社”があり,その入口脇に石碑が建っている。
この地は古くは「船木田郷」あるいは「船田郷」と呼ばれ,鎌倉時代には 厚木郷,江戸時代に厚木村となり,昭和後期になって 厚木町 → 厚木市 と変化した。
かつて相模川は,上流の山梨県や中流の各地域と下流の平塚の間を結ぶ水運が発達していた。この一帯は 相模川の西岸に位置し,更に中津川や小鮎川などの支流が分岐しているため,水運の要所であったと考えられる。このため碑文に書かれているように,この地は船に関わる仕事をする集団が集まった地域の一つであったと考えられる。
写真
碑文
船木田郷発祥の地
平安時代,この地を船木田郷と称し,水辺で船に係わる集落を郷名とした発祥の地と伝えられ, 近くには江戸時代に立場(休憩所)があった場所です。 現在の船喜多神社は船木田郷の遺名の神社であると伝承される古社です。
船喜多神社
(中略)
一 由緒
古代 この地方を船喜多郷(後に船田郷)と称された頃 郷中の鎮守社として本社(船喜多明神社)は勧請された
以来この地方を厚木郷と称して 後も郷民崇敬厚く 八百余年の歴史を伝承す
近世(江戸時代)に入ると牛頭天王社・熊野大権現と共に 厚木村の鎮守となり船喜多明神社はその総鎮守社であった
当社の本地仏は薬師如来にして別当(厚木山)東光寺の支配下にあった
明治六年明治政府の神仏分離令により厚木町の三社を合祀して郷社厚木神社が創建されると 当船喜多明神社は廃社となる
古来より由緒ある神社にして町民の敬神厚く再建の議起り 明治二十三年九月厚木町長より神奈川県知事へ神社復旧願が提出され 明治二十五年本殿が再建新築された
爾来厚木地区松枝元町東町の住民を氏子として 毎年九月十九日を大祭日としていたが現在では九月中旬の日曜日に開催される(二〇〇一年九月吉日建立)