日本 最初 外国蚕 飼育 旧跡

にっぽんさいしょがいこくまゆしいくきゅうせき

学研都市線 三山木みやまき駅から 西に1.3km。三山木駅方面から 京都府道65号を西に向かうと,同志社大学田辺キャンパスの南, “多々羅”バス停付近に,高さ1.5mほどの古びた石碑が建っている。

西暦4世紀のころ,仁徳天皇の皇后 磐之媛いわのひめはこの地で韓人(百済からの帰化人)に 『一度は匍う虫になり,一度は殻になり,また一度は飛ぶ鳥になる』という “三色に変わる”珍しい虫(蚕)を献上されて これを養うのに興味を持ち,天皇から都に帰るように言われても帰らなかった,という逸話が古事記に書かれている。

蚕はこの時代に初めて国内に持ち込まれたのではないかと考えられ,この地は日本における養蚕の起源とされる。 ただし もっと古い時代から養蚕が行われていたとする説もある。

余談だが,仁徳天皇は良く言えばロマンスの多い天皇で,ある時 皇后は嫉妬のあまり「不思議な虫を見に行く」 という口実で難波の都を抜け出し,山城の筒城宮(現在の京田辺市)に移ったとも伝えられる。 天皇から帰京するようにとの再三の催促にも磐之媛は応ぜず,結局3年後にこの地で死去したとされる。

仁徳天皇は 磐之媛の死後,浮気相手の八田若郎女やたのわきいらつめを皇后に迎えている。

写真

  • 日本最初外国蚕飼育旧跡
  • 日本最初外国蚕飼育旧跡 背面
  • 日本最初外国蚕飼育旧跡 背面

碑文

日本最初外國蠶飼育旧跡

昭和三年春 京都三宅安兵衛依遺志建之

地図

地図

京田辺市多々羅西平川原 付近 [ストリートビュー]