八王子 発祥の里

はちおうじはっしょうのさと

現存せず
撮影:
2006年4月
2018年10月(不在確認)

中央本線 高尾駅の北1.5km。中央高速のすぐ北の“八王子城跡入口”交差点を 西(八王子城跡方向)に曲がってすぐ左に, 「やわらぎ」という食堂がある。この店の前に小さな木の立札が建っていて, 「八王子発祥の里」と書かれている。“八王子市教育委員会”とは書かれているが, 木の板に墨で手書きされた 簡易的な立札で, 教育委員会の書いた文章を個人が手書きで写して私的に建てたもののような感じを受ける。

ここは, 都立八王子霊園への入口でもあり, 国史跡の八王子城跡への入口でもある。 かつてこの近くには 東京造形大学があってそれなりに人の行き来も多かったが, 十数年前に大学が 8kmほど離れた所に移転したため, 人の姿の少ない住宅地になっている。ただし, 都立霊園をはじめ周辺に多くの大型の霊園があるので, 春秋の彼岸にはかなりの混雑になる。


店が営業しているかどうかわからないが、表示は見当たらなかった。

写真

  • 八王子発祥の里
  • 八王子発祥の里
  • 石の和幸
  • 八王子案内図
  • 八王子発祥の里 撤去確認 (2018)

碑文

八王子発祥の里

「八王子の名の由来」

それは延喜年間(901)~(923)のころ華厳菩薩という名僧が修行中に牛頭天王という神様があらわれ,八人の童子をまつることを託されました。そこで延喜十六年(916)現在の元八王子三丁目の城山に牛頭天王と八人の童子をまつり, 八王子権現と称したという伝説があります。時移り戦国時代元亀から天正年間(1570年代)のころ滝山城主北条氏照がこの山に城を移して八王子権現を守護神として「八王子城」と呼んだのが地名の由来とされております。

八王子市教育委員会

八王子の名の由来と八王子神社

 伝説によると, 平安時代の延喜16年(961), 妙行という僧が深沢山(八王子 城山)で修行をしていたところ, 牛頭天王が八人の王子とともに夢に現われた。 そこで妙行は深沢山と周囲八つの峰に祠を建てて牛頭天王と八人の王子(八 王子権現)を祀った。
 戦国時代の天正10年(1582)頃, 北条氏照が深沢山に城を築いた時, 八王子 権現を城の守り神としたので, 城は「八王子城」, 城下の町は「八王子」と呼ば れるようになった。
 天正18年(1590)八王子城が落城した後, 城下の町は現在の市街地に移さ れ, 江戸時代には新しい八王子の町となり, もとの八王子は元八王子と呼ば れるようになった。

地図

地図

八王子市元八王子町3丁目 付近 [ストリートビュー]