浜名 畳表 発祥の地
はまなたたみおもてはっしょうのち
天竜浜名湖線 東都築駅から北に2km。静岡県道308号 鳳来三ヶ日線を北上すると、県道から200mほど奥に入ったところに、臨済宗
“畳表”は
ここ三ヶ日は、江戸時代以前は姫街道(東海道の脇街道)の宿場 三ヶ日宿であったが、産物もなく貧しい村であった。高栖寺の住職 玉庵禅師は備後福山から禁制の藺草の苗を持ち帰り,寺の境内に植え、近隣に栽培を広めた。これが地元の農家にとって農閑期の重要な収入源になり、畳表として商品化されたものは“浜名表”“遠州表”と呼ばれて各地に出荷された。
浜名表の生産は昭和40年代まで続いた。
写真
碑文
浜名畳表発祥の地
三ヶ日町における畳表の藺草植栽は大谷高栖寺中興の祖である第三世住職の玉庵禅師が永承16年(1519年)禅師が生れた備後(広島県福山市)から苗を竹筒に入れ艱難辛苦のすえ持ち帰り,境内の池辺に植えたのが最初である。当時の村人の暮らしは貧窮しており,生活を守るため国内禁制の苗を持ちかえったと言われる。
その後,浜名畳表として地域の声価を高め玉庵禅師の功徳の賜である。記念碑は現在,元三ヶ日東部中学校跡地校門前に残されている。昭和五十八年五月二十七日指定
浜松市文化財指定