平塚 商業 発祥地
ひらつかしょうぎょうはっしょうち
平塚駅の北口の西から北に向かい 平塚八幡宮に至る“八幡大門通り”がある。通りに面する東急インの前に,片面に「平塚商業発祥地」裏面に「八幡大門通り」と書かれた小型の石標があり,隣に「八幡大門通り」の説明板が建っている。また この場所から更に北にたどると,通りの中間 田中屋酒店前と北端 YAMADA英会話教室脇にも同じ形の石標がある。
八幡大門通りは 平塚八幡宮へ続く表参道として栄えた。1887(明治20)年に平塚駅が開業したのをきっかけに商店街が形成され,戦前は商店や映画館などが軒を連ね,バス通りにもなっていた。しかし 戦災によって焼け野原になって 商店が少なくなったことと,国道1号線の整備に伴って八幡宮と商店街が分断されたことにより参詣には不便になり、人の流れは駅前の大通りに移るなどして,自然と寂れてしまった。
平塚は毎年7月に“湘南ひらつか七夕まつり”が開催されて 多くの観光客を集めているが,八幡大門通りは 七夕の行われる商店街と直交しているため,祭りの恩恵をあまり受けていない。
現在は,昔の八幡大門通りの賑わいの復活をめざして,八幡宮と商店街を分断している国道1号線に横断歩道を設置しようという運動や,商店街のイメージを一新するため,通りの電線地中化や石畳の敷設,店構えの統一感など,時間をかけて街並みの整備を目指している。
石柱の文字には朱が入っていたようだが、修復される気配はない。
写真
碑文
平塚商業発祥地
八幡大門通り
大門会
八幡大門通り・浜大門通り
八幡大門通りは八幡神社(現平塚八幡宮)の表参道で,東海道までの区間を指します。明治二十年(1887)平塚停車場(現平塚駅)開業以来,平塚新宿に商店が建ち並びはじめました。最初は停車場付近の厚木道と浜大門通りが繁昌し,次いで八幡大門通りに中心が移り,大正中期から東海道筋に変りました。
浜大門通りは八幡大門通りから南へ向う通りで,昔は海辺まで続いていました。平塚停車場ができてから,この浜道は遮断され,商店が建ち並ぶようになると“停車場西通り”と呼ばれ繁昌しました。平成十四年(二〇〇二)三月
平塚市