放生会 発祥の地

ほうじょうえはっしょうのち

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撮影:
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日豊本線 豊前長州《ぶぜんながす》駅から東に3.1km、宇佐《USA》駅から北に4.2km、和間《わま》神社(宇佐市松崎793)の南を通る県道23号 中津高田線が小さな流れを渡る小さな橋の西詰付近に看板が設置されている。

放生会《ほうじょうえ》とは、生き物を放して殺生を戒め、生命を供養する祭礼である。その起源は、奈良時代に宇佐八幡の神託によって始められた放生の儀礼にあるとされる。奈良時代、宇佐八幡の神は、養老4年(720) に発生した隼人の乱において、朝廷軍の支援として豊前国から出兵した八幡神の威徳により戦況は鎮圧に至ったが、その際命を落とした隼人の霊が蜷に宿り祟りを引き起こした。その慰霊を求めたと伝えられる。これを受けて、宇佐神宮は和間浜で神仏習合の仏事・神事「放生会」を行った。

天平勝宝7年(755) に神託を受けて開始された祭礼は、寄藻川の河口付近に位置する和間神社・浮殿を主な舞台として執り行われた。宇佐神宮から八幡神の神輿が和間神社へ御幸し、川へ蜷貝《ニナガイ》などの生き物を放ち、僧侶による読経や鎮魂の儀礼を実施した。これが日本における放生会の起源となり、後に全国の社寺へと広まった。明治時代の神仏分離に伴い、宇佐神宮では「仲秋祭」へと名称が改められたが、和間神社での放生の神事は継承されている。

放生会では、福岡県吉富町の八幡古表《はちまんこひょう》神社や大分県中津市の古要《こよう》神社に伝わる傀儡子《くぐつ》の舞や相撲なども奉納される。

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写真


碑文

放生会発祥の地

道行ばやし
蜷 流し
子ども神輿

和間文化財愛護少年団

和間地区まちづくり協議会

北条会発祥の地
和間神社

1300年の歴史

和間地区まちづくり協議会

和間神社御由緒

祭神
八幡大神
比売大神
神功皇后

この地は神武天皇東征の寄港地でありまた神功皇后の三韓征伐の軍船をつくられたなど宇佐と共に古い神蹟である。
七一九年養老三年南九州の隼人の乱をしずめるため国司は宇佐神宮を奉じて軍をすゝめたたが強く反抗したので策をかまえ人形が相撲をする舞を見せて亡した。この為に隼人の怨みがあらわれていろ〱の病妻があったので勅命でこの怨霊の祭を放生会として称して行われることゝなった。現今全国各地で秋に放生会をするが七四三年天平十六年に宇佐神宮が古代から由緒のある神域和間の地で勅大祭が行われたのがこの祭り、また和間神社のおこりである。
戦国時代頃までは神域は浮殿を中心にして松崎・佐々礼・水崎におよぶ殺生禁断の地であり古表神社(築上郡𠮷富町)の神相撲(くぐつの舞)やいろ〱のお舞楽があり法運、華厳、覚満、射能等の仏事もあった
宇佐神宮をたゝれた八幡宮若の神幸は黴び荘厳いろ〱の神事を行ない放生会(たゞ今は仲秋祭)がこの神社で行なわれた。
然、神宮の盛衰と共に応永年間足利幕府大内氏の寄進
元和年間細川忠興の力で再興され また、昭和十三年から現制に復古したが往時を偲ぶ姿もなく境内も縮小したが昭和三十九年六月十日に社殿神域を復旧造営した。

祭日
四月三日 祭
十月十日 仲秋祭
 十一日 (放生会)

地図

地図

宇佐市松崎 付近 [ストリートビュー]