伊地知 姓 発祥の地

いじちせいはっしょうのち

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えちぜん鉄道 勝山永平寺線 越前竹原駅から北へ2.6km、中部縦貫道 E67 永平寺大野道路 上志比I.C. から北東に5km、畑ヶ塚(畑時能の墓所)にあるたくさんある標柱のひとつが、薩摩の姓「伊地知」の発祥地であることを示している。畑ヶ塚は、南北朝時代に新田義貞方の武将・畑時能が戦死した地と伝えられる場所でもあり、勝山市が指定する史跡「伊知地古戦場」の一角にあたる。

勝山市北郷町伊知地は、薩摩地方に多く分布する伊地知姓の発祥地として知られる土地である。現在の地名は「伊知地」と表記するが、ここは中世以来の歴史を持つ地域であり、『日本歴史地名大系』にも、薩摩の伊知地氏はこの地の出身であるとする伝承が記されている。地名は南北朝時代の史料に「伊地」として登場する。

伊地知姓の由来については、越前国守護を務めた島津氏との関係が伝えられている。鎌倉時代前期である安貞元年(1227) に島津忠久が越前国大野郡伊知地を自家領としたとされる。忠久は、武蔵国の御家人であった畠山重忠の孫・季随すえゆきをこの飛地領である伊地知の領主として現地へ派遣した。伊地知の地に入った季随は、その地名をそのまま家名とし、自ら「伊地知氏」を名乗った。

その後、伊地知氏は南北朝時代から室町時代にかけて、本来の宗家である島津氏の下へ移住する形で大隅国および薩摩国へと移った。九州へ渡った伊地知一族は薩摩藩の重臣として定着し、現在も九州地方を中心に多くの伊地知姓が存在する。

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碑文

薩摩島津藩 伊地知姓発祥の地

地図

地図

勝山市北郷町伊知地 付近 [ストリートビュー]