治郎丸ほうれんそう 発祥の地

じろまるほうれんそうはっしょうのち

名鉄名古屋本線 国府宮駅から北東に約1.2km、東海道本線 稲沢駅から北西に2km。稲沢いなざわ治郎丸じろまる中町なかまちにある“イセキ東海尾張西部支店”の裏にある治郎丸地区公民館(稲沢市治郎丸中町35)の前に大きな石碑が建っている。

「治郎丸ほうれんそう」は日本の伝統野菜のひとつ。ホウレンソウの原産地は中央アジアから西アジアといわれ、7世紀ごろに中国に渡り、日本には江戸時代初期に渡来したとされる。

日本では西洋種(葉が丸みを帯びている)と東洋種(葉に切り込みが多い)の2種類が栽培されてきたが、大正末期ごろに、日本種と西洋種を一畝おきに蒔いて育てたところ、自然交雑により一代雑種の種が採れた。その種子で栽培したところ、比較的よい収穫が得られたため、これを地名から『治郎丸』と呼ぶようになり、稲沢地方はホウレンソウの一大産地となり、またこの品種も全国に普及していった。

しかし時代が経るに従い、各種の交雑種が流通するようになり、戦後固定種として復活したが、最近は新しい品種が多く生産されるようになり、治郎丸の生産量は大幅に減少している。

写真

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碑文

治郎丸ほうれんそう発祥の地

稲沢市長 住田隆 書 

由来記

この地へほうれんそうが導入されたのは大正6~7年のことである。大正13年ごろ青年だちが中心となり、栽培法の改善、品種の改良など熱心に研究に取り組んだ。

従来から栽培された東洋系の日本在来種は市場性が低かったので、大正14年頃西洋系ホーランディアを導入したが、この両品種の自然交雑種とみられる優秀な個体を発見し、昭和5年品種を「治郎丸」と命名した。昭和8年頃にほうれんそうの特産地として県内外に知られるようになり、品種は全国へ普及した。

昭和戦前期に先駆けて雑種利用育種によって治郎丸ほうれんそうを育成し産業の振興をはかった先人の業績には誠に顕著なものがある。

この偉業を永く構成に伝えんがため、今この碑を建てる所以である。

地図

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稲沢市治郎丸中町 付近 [ストリートビュー]