海軍 炭鉱 創業記念碑
かいぐんたんこうそうぎょうきねんひ
香椎線
この地には“新原海軍炭鉱”と呼ばれた 旧海軍直営の炭鉱があった。明治23年(1890) に 開設され,“粕屋炭田”とも呼ばれた。当時の軍艦は石炭を燃料として航行したが, 狭い軍艦に多量の石炭を積み込むためには良質の(カロリー価の高い)石炭が求められ, 当初はイギリスなどから輸入したが, 国内で良質の石炭を探したところここ新原のものが最適とわかり, 海軍直営で鉱山を運営することになったという。
終戦まで採掘が続けられ, 戦後は国鉄直営の炭鉱となったが昭和39年(1964) に閉山となり, 75年の歴史を閉じた。
ここを通る香椎線は, 粕屋炭田の石炭を海軍基地のある佐世保へ送るために建設され, 博多湾の西戸崎まで 通じている。
写真
碑文
海軍炭鉱創業記念碑
明治維新ノ大業成リ帝國海軍ノ基礎確立スルヤ政府ハ海軍用石炭ノ採掘自営ヲ計リ廣ク全國各地ヲ調査ノ結果明治二十二年此地ヲ卜シテ新原採炭所ヲ創設ス是即チ我採炭部ノ濫觴ナリ爾来將ニ五十年其間日清日露ノ二大戦役ヲ経テ今次ノ支那事変ニ及ビ或ハ艦舩ノ行動ニ或ハ兵器機關ノ製作ニ海軍用炭ノ策源地トシテ貢献尠カラズ而シテ業ニ當ルヤ協力一致採炭報國ヲ綱領トナシ国運ノ伸張ト共ニ躍進又躍進當初ハ年産僅ニ数萬瓲ニ過ギザリシモ今ヤ六千万瓲ヲ超ユルニ至ル今昔相衡較スルニ轉感慨ニ堪ヘズ此時ニ當リ近郷ノ有志相圖リ創業以来當部ノ國家ニ致セル功績ヲ讃ヘ又唯一ノ官營炭山トシテ斯界ノ發展ヲ助長シ且ハ附近町村文化ノ啓發進展ニ寄與スル所大ナリトシ其惠澤ヲ後毘ニ顕彰スルタメ創業記念碑建立ノ議成リ碑文ヲ余ニ要ム依テ以テ誌之ト爾云
昭和十二年十二月十二日
海軍主計少將正五位勲三等 金谷隆一
海軍炭鉱創業記念碑
紳士淑女枉駕
昭和十三年戌寅年秋十一月