県営 砂防 発祥之地

けんえいさぼうはっしょうのち

身延みのぶ線 小井川駅から西に12km。櫛形西小学校から県道108号線を西へ南アルプス市県民の森方面に向かうと,上一之瀬の集落を抜けた先の左脇に高さ1.5mほどの石碑が建っている。そこから川の対岸に苔の生えた古い石積みが見られ,黒い石碑が建っている。

この碑の右側に見える石積みが明治当時の石積みという。

この地は,櫛形山から流れ出る一之瀬川が造る扇状地で,対岸に見られる古い石積みは市之瀬川の岸が削られるのを防ぐための護岸で,明治14年(1881)に山梨県が初めての県単独事業として行った砂防工事である。

この工事は山梨県における近代砂防工事の先駆けであり,明治30年(1897) に砂防法が成立して,主要な砂防事業は国の直轄でおこなうようになる以前に,待ちきれない状況だったた山梨県が日本で初めての県単独事業として行ったものであった。

なぜ同年同月付の石碑が2つになったのか経緯はわからない。

県営砂防事業発祥之地

写真

  • 県営砂防発祥之地 背面 (2019)
  • 県営砂防発祥之地 (2019)
  • 県営砂防発祥之地 (2019)
  • 日本における県営砂防発祥の地

碑文

砂防事業百年記念

日本における
県営砂防発祥之地

山梨県知事 望月幸明


明治十四年十月市ノ瀬川において全国で初めて県費をもって砂防事業が施行された
これより数えて百年目にあたり 先人の残した輝かしい業績をたたえこの地に記念碑を建立する

昭和五十六年六月

地図

地図

南アルプス市上市之瀬 付近 [ストリートビュー]