県営 砂防 発祥之地
けんえいさぼうはっしょうのち
この碑の右側に見える石積みが明治当時の石積みという。
この地は,櫛形山から流れ出る一之瀬川が造る扇状地で,対岸に見られる古い石積みは市之瀬川の岸が削られるのを防ぐための護岸で,明治14年(1881)に山梨県が初めての県単独事業として行った砂防工事である。
この工事は山梨県における近代砂防工事の先駆けであり,明治30年(1897) に砂防法が成立して,主要な砂防事業は国の直轄でおこなうようになる以前に,待ちきれない状況だったた山梨県が日本で初めての県単独事業として行ったものであった。
なぜ同年同月付の石碑が2つになったのか経緯はわからない。
写真
碑文
砂防事業百年記念
日本における
県営砂防発祥之地山梨県知事 望月幸明
明治十四年十月市ノ瀬川において全国で初めて県費をもって砂防事業が施行された
これより数えて百年目にあたり 先人の残した輝かしい業績をたたえこの地に記念碑を建立する昭和五十六年六月