近代の パン 発祥の地
きんだいのぱんはっしょうのち
平成28年(2016) 11月8日、大桟橋入口交差点近く(中区日本大通5番地付近)の歩道と車道を分ける植え込みに、御影石でできた近代のパン発祥の地の碑の除幕式が行われた。初めてパン屋を開業した内海兵吉氏の孫等も参列したということだ。
日本で初めてパン屋が開業したのは万延元年(1860)。幕府が設置した外国人日用食品街お貸し長屋で、フランス人に製法を教わり内海兵吉が始めた。その後、イギリス人が開業し、そこで修行をした内木彦太郎が元町で開業、これが現在も続くウチキパン。
【リンク】カナコロ、横浜市綜合パン協同組合、ウチキパン
近代のパン発祥の地の除幕式の模様だよ♫場所は、日本大通り駅そばの郵便局の近くだよ pic.twitter.com/LlMVC3ZWRw
— 横浜市中区区政情報 (@na_yokohama) 2016年11月8日
写真
碑文
近代のパン発祥の地
一八五九年、欧米諸国との貿易がはじまるや、幕府は日本大通り五番地の横浜港郵便局を中心とするこの地区に、外国人の日用食品街「お貸し長屋」を建てた。その一角で、内海兵吉は一八六〇年、フランス人にパンの製法を習って「パン屋」をはじめた。
当初は「焼き饅頭」のようなものができた。だが、これが現代日本人の日常生活につづくパン食文化の始めである。パンの元祖「富田屋」として知られた。
その後、イギリス人クラークのパン屋「ヨコハマベーカリー」が、登場する。ここで修行し、受けつぎ発展したのが内木彦太郎の元町「ウチキパン」で、イギリス流の山型食パンである。
現代日本の日常生活に根づくパン食文化「パン屋」が始まったこの地区に、横浜市中区制九〇周年を記念し「近代のパン 発祥の地」を設置する
二〇一六年十一月
設置者 横浜市綜合パン協同組合
全国パン協同組合連合会