京仕込み「キンシ正宗」発祥の地
きょうじこみきんしまさむねはっしょうのち
地下鉄烏丸線の丸太町駅から 南東に400m。堺町通と二条の交差点から 北に50m上った左側に「京仕込み 松屋久兵衛」と染め抜かれた のれんが掛った店(堀野記念館)がある。
その店先に『京仕込み「キンシ正宗」発祥の地』と書かれた駒札(木の立て札)が立っている。
キンシ正宗は,京都・伏見に本社を置く日本酒メーカーの社名であり, 同社の製造する清酒のブランド名でもある。この地は 同社の創業の地で,かつて本社のあったが、現在は酒の博物館“堀野記念館”が開設されている。
キンシ正宗㈱は,安永10年(1781) に,創業者 初代松屋久兵衛が,この地で酒造業を創業したのにはじまる。 江戸時代には 京都御所に近いこの付近は,良質の水が得られたことから,200軒近い酒屋があったと言われる。また ブランド名の「キンシ正宗」は,明治29年(1896) に金鵄勲章に“正宗”の文字をを配した商標が登録され,それ以来 同ブランドの清酒が販売されている。
創業以来個人経営だった組織は 昭和11年(1936) に「㈱堀野久造商店」と変更され,さらに 平成3年(1991) に現在の「キンシ正宗㈱」に変更されている。 同時に“京仕込み”というブランドスローガンが使用されている。
写真
碑文
京仕込み「キンシ正宗」発祥の地
天明元年(一七八一)、若狭出身の堀野家の初代 松屋久兵衛は この地で造り酒屋をはじめた。 堀野商店(現在はキンシ正宗株式会社)は、明治になってから酒蔵の一つを伏見に置き、戦後は本社を伏見に移したが,創業の地であるこの家は往時の姿をそのままに守り続けて残されてきた。
当時御所の南の一帯には、造り酒屋がかなり集まっていた。おそらく醸造に適した良質の水脈が豊富にあったのだろう。黒川道祐「雍州府志」に「凡ソ京師ノ井水ハソノ性清ニシテ柔、ソノ味淡ニシテ芳、コノ水ヲ以テ酒ヲ醸ス、故ニソノ味甘美ナリ、惣シテ京酒ト謂ヒ、マタ地酒ト称ス」と説明している。
「雍州府志」が書かれたのは貞享元年(一六八四)で、堀野家が造り酒屋をはじめるざっと一〇〇年前だが、今もこの敷地内にある井戸は毎時3tの湧出をしている。参考引用文献「京の老舗」 駒敏郎 より
駒札から看板になった時に「凡ソ京師ノ井水ハソノ性清ニシテ柔」の部分がなぜか「凡ソ京師ノ井水ハソノ性清ニシテ業」となった。意味からして「清ニシテ柔」が正解のようにわかるが、京の老舗(駒敏郎著)もそのようになっている。