国産 フェロクロム 発祥の地
こくさんふぇろくろむはっしょうのち
秩父鉄道 影森駅から南東に500m。昭和電工㈱秩父事業所の事務棟前の植え込みに,黒御影石の堂々とした石碑が建っている。
フェロクロムは鉄とクロムの合金で,ステンレス鋼に大量に使われるほか,ほとんどすべての鉄鋼製品に欠かせない添加物である。1920年代までは世界中でスウェーデンでしか生産できず,日本では全量を輸入していた。
昭和7年(1932),秩父電気工業はここ影森工場で,日本ではじめてフェロクロムの国産化に成功した。「秩父電機工業」は後に「日本電気工業」に吸収され,さらに昭和肥料と合併して「昭和電工」となった。
その後 昭和電工はフェロクロムの国内トップメーカーとして生産を続け,戦後の高度成長で急増したステンレスの需要に応えてきたが,1970年代のオイルショック後,国産のフェロクロムは生産コストが上昇して国際競争力を失い,南アフリカ共和国など海外に生産を移転した。平成17年(2005) にはその海外法人も売却し,現在この秩父工場はLEDなど化合物半導体の生産拠点になっているという。
余談だが,この辺りは秩父の巡礼道(秩父三十四ヶ所霊場巡り)の真ん中にある。珍しいのは 26番円融寺から その奥の院“岩井堂”や琴平神社に登る道が昭和電工秩父事業所の中を通っていること。工場の入口には わざわざ看板が出ていて,「琴平神社,札所26番奥の院へお出掛けの方は,工場構内をお通り下さい」と書かれていて歩行者通路が示されている。工場門前には駐車できないが、申し出れば工場敷地内の琴平神社下の駐車スペースを教えてもらえる。
写真
碑文
國産フェロクロム発祥の地
フェロクロムは 鋼の耐熱性 強度等を高めるためのクロム添加材として 欠くことのできない合金でありますが 昭和の初期までは全量をヨーロッパからの輸入に頼っておりました
重要工業製品の国産化を事業の最重点とした 当社の創業者森矗昶は 昭和六年にフェロクロム国産化の研究に着手し同七年多くの技術的な困難を乗越えて 当秩父の地において初の国産化に成功しました
以来五十年 秩父工場はフェロクロムのトップメーカーとして 製造技術 製品品位ともに 常に世界の最高水準の評価を得てまいりました 当初は用途の限られていた特殊鋼も ステンレス鋼を中心として日常生活に大量に使われるようになり 秩父工場も家庭生活の進歩に貢献してまいりました
ここに フェロクロム国産化五十年を記念し往時に使用された金属電極をモニュメントとしてささやかな碑を建て先輩の業績を顕彰するものであります。
先端技術による新しい時代の到来を肌に感じつつ私達は 社会の要求に即応する新製品を柱に据え先人の労苦の成果を継承して 秩父工場を更に発展させるため 一致して努力することを誓います昭和五十八年十月吉日
題字揮毫 昭和電工株式会社社長 岸本泰延
昭和電工秩父工場・研究所従業員一同