南永井 さつまいも 始作地之碑

みなみながいさつまいもしさくちのひ

武蔵野線 東所沢駅から北に2Km。国道463号 浦和所沢バイパスと関越道に挟まれた一画。南永井交差点を北上し、細い路地を右に入った畑地と倉庫と荒地が入り交じる地域にある吉田家の入口に、石碑が並んで建っている。

  1. 埼玉県史跡[南永井さつまいも始作地之碑(昭和27年)
  2. 文化財保存の辞(昭和30年)
  3. 南永井さつまいも始作地の碑(説明板平成15年)

さつまいも(甘藷)は江戸時代初めに日本に伝来し九州に広まったと伝えられる。痩せた土地でもよく育ち旱魃にも強い救荒作物として、八代将軍吉宗は青木昆陽に指示して栽培を奨励。享保年代から江戸近辺でも栽培されるようになった。

この地 南永井村は、江戸時代に開拓された新田だが、地力が低いうえ灌漑用水が乏しかったため夏の旱魃には特に弱い土地だった。寛延4年(1751)、名主の吉田弥右衛門は息子 弥左衛門を上総国(千葉県)に派遣して、200個のさつまいもを買い付け、栽培をはじめた。これが周辺の村にも伝わって広く栽培されるようになり、やがて近くの川越から舟運によって江戸に出荷するようになった。

このため集散地である川越の名を取って「川越いも」の名で知られるようになった。

写真

  • 南永井さつまいも始作地之碑
  • 南永井さつまいも始作地之碑 説明板
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  • 文化財保存の辞
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  • 背面

碑文

史蹟 南永井さつまいも始作地之碑

    柳瀬村長 久瀬川市郎書

昭和二十五年三月三十一日
 埼玉県教育委員会指定
   昭和二十七年八月 建之

文化財保存の辞

本県の甘藷栽培の起源は二百十年前吉田さんの祖先の
この地に始作普及したもので当時の記録は次の通である

さつまいも造り始めの事

寛延四年二月廿八日江戸木挽町川内屋八郎兵衛殿世話に
てかつさ国志井津村長十郎方へ弥右衛門参りさつまいも
二百二而代五百文買落銭其壱分二朱懸り申し候

四代名主 吉田弥右エ門

  昭和三十年一月
  保存管理者 柳瀬村

南永井さつまいも始作地の碑

所在地 所沢市南永井

 吉田家には「史跡南永井さつまいも始作地之碑」とともに、「弥右衛門やえもん覚書おぼえがき」 とよばれる古文書が伝わっています。所沢市の指定文化財となっているこの覚書は、南永井村(現・所沢市大字南永井)で名主をつとめた吉田よしだ弥右衛門やえもんとその子孫が、村内外の事柄を書き記した覚書で、その中には柳瀬やなせ地区ちくでさつまいも(甘藷かんしょ)の栽培が開始された貴重な記事も収められています。

 寛延4年(1751)2月、弥右衛門は、息子・弥左衛門やざえもん上総国かずさのくに志井津村しいづむら (現・千葉県市原市)に種いもの買付に行かせました。弥左衛門は9日後に 帰村し、以後、さつまいもの栽培は、周辺の村々に伝わりました。そしてこの 地方一帯で栽培されるようになり「とめじゃとうなす、永井じゃさつま、日比田・亀ヶ谷まくわうり」と唄われました。

 さつまいもは、新河岸川しんかしがわによって江戸へ運ばれました。集散地である城下町・川越の名をとって「川越いも」の名で全国に知られるようになったのです。

平成十七年三月
所沢市商工労政課

地図

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所沢市南永井 付近 [ストリートビュー]