ムロラン (室蘭) 地名 発祥の地

むろらんちめいはっしょうのち

室蘭本線 崎守駅から南西に150m。崎守地域振興センターの前に説明板がある。

室蘭市は噴火湾(内浦湾)の北の入口に岬状に突き出した地形で 天然の良港をなし,古くから海運の拠点として発展した。特に 石炭輸送を目的として,明治25年(1892) の岩見沢から室蘭までの鉄道敷設などで,本州と北海道を結ぶ海陸交通の要衝として発展し,明治33年(1900) に室蘭町,1992 1922(大正11)年に室蘭市となった。

室蘭地方は,文禄時代(秀吉の時代)に松前藩領となり,慶長年間(江戸開府前後)には絵鞆えとも岬(室蘭市役所のある絵鞆半島の西端)に絵鞆場所が開かれ,和人とアイヌの人たちが商取引をする交易所(運上屋うんじょうや)が建てられた。後に運上屋は幕府直轄の会所に改められ 対岸のモロラン(現 崎守)に移設されるまでは、室蘭地方の中心集落として栄え,絵鞆岬一帯は“エトモ”と呼ばれていた。

「室蘭」という地名の語源はアイヌ語の「モ・ルエラニ小さな下り坂」から転訛して「モロラン」となったもので,崎守町の仙海寺という寺の前の坂をさす地名であった。江戸時代から長い間“モロラン”(モロラン村)と呼ばれていたが,明治初期に“室蘭”の漢字が当てはめられて以降“ムロラン”という呼び方が定着したと思われる。

室蘭市内には あちこちに「室蘭発祥の地」と書かれた看板が見られる。崎守は「地名発祥の地」、絵鞆は「町発祥の地」。


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写真

  • ムロラン(室蘭)地名発祥の地
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碑文

ムロラン(室蘭)地名発祥の地

 ムロラン(室蘭)は,もともとアイヌ語に源を発する地名で,「モロラン」と呼ばれていた。その原名は「モルラン」であり,語源は「モ・ルエラニ」とされる。つまり,アイヌ語発音解釈から,モは「小さな」「子」,ルは「路」,エは「そこを」,ランは「下る」,イ「所」で,総じて「小さな下り路」の意味である。

 「室蘭」の名付け親は,松浦武四郎(1818~1888年)である。六回に及ぶ蝦夷地探検の際,1845年には噴火湾沿岸を調査し,さらに明治二年(1869)に明治政府の開拓判官となって「北海道」と命名,また道内の国郡名選定を行なう。
 彼は室蘭郡の命名の理由として「会所元ヘ何レヨリ行テモ チイサキ坂ヲ下ル故ニ此名有ニテ御座候」と,この地の坂路の印象を挙げている,

 かくて,時の太政官は明治二年(1869年)に「このたび蝦夷地一円を北海道と称す」と布告,同時に胆振国室蘭郡(モロラン村など七ヶ村)も制定された。
 やがて,開拓使が明治五年(1872年),港と札幌本道建設の拠点としてモロランの小沼を選ぶが,着工直前に黒田清隆(当時の開拓使次官)の決断で対岸エトモ(絵鞆)側のトキカラモイ(現在の海岸町三丁目の港側)に変更となる。
 以来,この地は開港した「新室蘭」に対して「旧室蘭」と呼ばれるが,さらに地名発祥の誇りをこめて「元室蘭」と呼ばれることになり,現在は「本室蘭」と呼ばれている。
 町名としては現在,「崎守町」と称しているが,これは室蘭の地を守る防人の心意気を伝えるものである。

平成元年(1989)8月 室蘭市

地図

地図

室蘭市崎守町 付近 [ストリートビュー]