南部 発祥の地
なんぶはっしょうのち
平成15年(2003) に移転した南部中学校跡地には、
写真
碑文
平良ヶ崎城について
平良ヶ崎城は、南部藩祖南部三郎光行公により
糠部 経営の本拠として建久三年(一一九二年)に築かれた城で、南部発祥の地である。
光行公が文治五年(一一八九年)源頼朝公の平泉藤原泰衡追討の軍に従い その戦功によって糠部郡 を賜わり、建久二年(一一九一年)暮、鎌倉より八戸浦を経て入国し、翌三年に この地に(現在の南部中学校)築城工事を行った。
この地は、街道の分岐点を押 える要点で、高山峠に続く尾根を掘り割って城地としたものである。
正寿寺館、馬場館、大向館などが近くにあり三戸城を加えて三戸五城と呼ばれ、うち正寿寺館居館であり、平良ヶ崎城は政庁であった。昭和四十五年六月
南部町教育委員会
学校の位置
- 北緯四〇度二四分四八秒
- 東経一四一度一六分一一秒
- 海抜三八米
南部中学校は2003年(平成15年)に新校舎を建築して北東約300mほどの場所に移転した