日光金谷ホテル 創業の地

にっこうかなやほてるそうぎょうのち

 
撮影:
2008年5月 (写真提供 T.K.さん) 、2017年7月

日光駅から 北西に2.5km、現在の「日光金谷ホテル」の入口から 日光橋(東照宮の西参道入口)を経てさらに1kmほど西に進むと, 北側に金谷ホテルの“記念館”(侍屋敷=Samurai House) があり, 道路に面して案内板が建っている。

日光は 徳川家康の霊廟である東照宮が造られ 信仰の山だったが, 明治以降 日本の開国によって増えてきた外国人が 蒸し暑い夏の東京を避けて避暑地を求め, 軽井沢と共に発展してきた。1873(明治6)年, アメリカ人ヘップバーン(ヘボン)博士が, 東照宮の楽職(しょう=笛の一種=の奏者)をしていた 金谷善一郎に頼み 自宅に宿泊させてもらった。これが口コミで広がり, 毎年外国人を受け入れ 宿泊施設“金谷コテージイン”を提供することになった。これが「金谷ホテル」の始まりである。

1878(明治11)年には 英国人女性旅行家イザベラ・バードが宿泊した。 彼女は世界各地を旅した後に来日(当時47歳)。東北と北海道を旅する許可を得て, 途中“金谷コテージイン”に滞在。自然にあふれた日光に感銘を受けた。このことが旅行記『日本奥地紀行』で紹介され, 在日外国人の間で“日光の金谷”が最高の避暑地として評価された。1893(明治26)年に 東照宮の入口に近い現在地に, 2階建て客室30室の「日光金谷ホテル」を建築, 営業を開始した。

日光金谷ホテルは, 絢爛豪華な東照宮のお膝元にふさわしく, 極彩色の日光彫りなど和風装飾で埋め尽くされている。 日本情緒を好む外国人の目を楽しませる趣向だったのだろうが, これは 現在も引き継がれて 独特の雰囲気を醸している。また 1916(大正5)年にはフォード自動車を購入して 宿泊客の観光の便宜を図るなど, 積極的な経営をした。

明治末期に日光御用邸(現 日光田母沢御用邸記念公園)が開設され, 日光は国内の要人の社交の場として さらに発展。金谷ホテルも 1922(大正11)年に 英国皇太子殿下が泊まるなど, 外国王室や 国内宮家の利用が増え, 近代的ホテルとして増改築を経て現在に至っている。

追記 2017.07

調査から時が経ち、表示が新しいものに改められ、場所も少し変わったようだ

写真

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  • 侍屋敷
  • 金谷ホテル創業の地(2017)
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碑文

金谷武家屋敷 Kanaya Samurai House

日光金谷ホテル創業の地

この屋敷は寛永年間(1641頃)に当時の武家の住まいとして建てられたものです。
明治の初期, ヘボン式ローマ字の制定で有名な J.ヘボン博士をお泊めしたのを端緒として, 金谷家はこの住まいを外国人の宿泊に提供することとし, KANAYA COTTAGE INN と名づけて明治6年(1873)から25年(1891)までここに多数の外国人をお泊めしました。
これが金谷ホテルの創業であります。

地図

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日光市本町 付近 [ストリートビュー]