日本 チューリップ 発祥の地 記念碑
にっぽんちゅーりっぷはっしょうのちきねんひ
信越本線 新津駅から西に4km。国道260号を西に進み,市立小合中学校付近から広域農道を北に入ると,新津花き総合センターと“道の駅花夢里にいつ”がある。ここの駐車場入口付近にチューリップをかたどったモニュメントが載っている白い石碑が建つ。
チューリップは 地中海から中東にかけての高地乾燥地帯が原産で,オスマン朝トルコでは宮廷の庭園で栽培されていたという。16世紀になってヨーロッパに伝えられると,オランダやイギリスなどで品種改良が進み, やがて“チューリップ狂時代”と言われる大ブームが起きるまでになった。
日本へは 江戸時代後期(文久年間)に伝来したが,当時はあまり関心を持たれることはなく,本格的に栽培が行なわれるようになったのは大正時代になってからである。
新潟県でのチューリップ栽培は,明治37年(1904) に球根を導入して鑑賞用として学校などの公共施設に 植えたことがあったが,球根栽培を産業化できるとは一般に考えられなかった。その中で小田喜平太氏は球根数百球を購入して,ここ小合地区で試験栽培を行い良好な結果を得た。 これは、この地域の冬の湿った気候と降雪・水や土壌などの自然条件が栽培に適していたことによる。この成果をもとに,大正8年(1919) には数万球の球根をオランダから輸入して本格的に栽培を開始し,さらに地域の園芸組合を中心に大規模な栽培を行なうようになった。
これが日本で最初のチューリップ球根の商業栽培であるとされ,これを記念して 平成元年(1989) に発祥の地の記念碑が建立された。
ちなみに,新潟県の隣の富山県でも チューリップ栽培が盛んで,新潟県と共に チューリップを県花としている。最近の両県のチューリップ球根のシェアは,富山県 53%,新潟県 45%。 切り花の全国シェアは 新潟県が33%を占めている。
写真
碑文
日本チューリップ発祥の地
記念碑平成元年四月 新津市長 斉藤富雄
記念碑に寄せて
この地はかつて大正のはじめ先覚者故小田喜平太氏が,日本ではじめてチューリップ球根の生産を目指し巨費を投じてオランダより種球を購入,信濃川堤外地において試作を重ねた結果地域の産業として極めて有望なることを確信 同志と共に栽培の普及に努力された。 このことは今日新潟県が日本一のチューリッ プ生産地として確固たる地位を築く基を開かれたものであり正に日本チューリップ発祥の 原点である
このたび地区内外多数の関係者より寄せられた浄財をもって記念碑を建立し 先人の偉業を讃えその歴史を長く後世に留めるものである平成元年四月