日本 最初 盲唖院
にっぽんさいしょもうあいん
京都市営地下鉄 烏丸線 北大路駅から西へ2kmほど。鹿苑寺(金閣)にもほど近い京都府立盲学校高等部(北区紫野花ノ坊町1)の正門を入り校舎まで進むと正面に創始者
教諭だった古河太四郎は、地域の農民の水不足解決のために溜池開発を手伝うが、手続きに不備があり服役。獄中から見た外の景色に、いじめに遭う聾児を見かけたことで盲聾学校設立を決意したという。明治11年(1878) に盲聾学校が開校した。
点字が確立する以前の話で、木刻凸字や蝋板凹字、凸字本、凸地図、凸地球儀などが作られ、残っているものは京都府指定文化財・重要文化財として当校で保存している。
碑の揮毫は槙村正直とあり、天保生まれの明治の男爵である。東京遷都で荒廃した京都を立て直そうと奔走した知事だった。
訪問日は日曜日で休校で都合良く生徒も職員もいないようなので、門外から撮影。
写真
碑文
日本
最初
盲唖
院京都府知事 槙村正直書