日本 最初 盲唖院 開学之地

にっぽんさいしょもうあいんかいがくのち

京都における視覚・聴覚障害者に対する教育は日本で最も早く開始され、明治6年(1873) に上京区第十九組区長が、隣家の聾唖姉弟の教育を待賢小学校に依頼した。明治8年(1875) 区内有志の賛助を得、古河太四郎 教諭らが校内に瘖唖いんあ教場を開いたことに始まる。明治11年(1878) 2月より盲生教育も開始した。《日本盲唖教育発祥之地

明治11年(1878) 5月に、この地にあった生糸改会所跡を仮校舎として移転、盲唖院が開校され「京都盲唖院」と改称。古河太四郎 院長。《日本最初盲唖院開学之地》

翌 明治12年(1878) 9月には正式に府立学校となり京都第二赤十字病院付近移転し《日本最初盲唖院創建之地》、明治22年(1889) に「京都市立聾唖学校」となった

その後、大正14年(1925) には盲学校及聾唖学校令により、聾学校新校舎を建てて盲・唖を分離、昭和6年(1931) に府に移管しそれぞれ府立盲学校(北区紫野花ノ坊町)・府立聾学校(右京区御室大内)となり、現在に至る。


大型集合住宅に建て替わり、シャッターの向こうの奥の方に移設されたため、近づけなくなった(見えないわけではない)。地域では「もうマンションは要らない」などのお気持ち表明が見られるほど、集合住宅だらけになった印象はある。

写真

  • 日本最初盲唖院開学之地
  • 日本最初盲唖院開学之地 側面右
  • 日本最初盲唖院開学之地 側面左
  • 日本最初盲唖院開学地(2023)
  • 日本最初盲唖院開学地(2023)

碑文

日本最初盲唖院開学地

古河太四郎の六男進建之
明治十一年五月二十四日於此地開業

地図

地図

中京区船屋町東洞院通押小路下る 付近