野田藤 発祥之地
のだふじはっしょうのち
大阪地下鉄 千日前線 玉川駅・大阪環状線 野田駅から東に500m、阪神本線 野田駅・大阪地下鉄 千日前線 野田阪神駅から南東に700mにある春日神社(大阪市福島区玉川2丁目2-7)前に藤棚がある。長らく立看板があったようだがついに令和6年(2024) 頃に石造のモニュメントが設置され、ようやく「発祥の地」であると明示された。
野田藤発祥之地は、現在の大阪府大阪市福島区玉川付近を指す。野田藤という生物が発祥したということではなく、植物分類学上の標準和名「ノダフジ」の命名由来となった地域である。
南北朝時代の正平8年/文和2年(1353) 、南朝軍の京都強襲によって都を追われ、近江国へと逃亡した室町幕府2代将軍・
当時の武将にとって、陣中で和歌や連歌を詠む行為は単なる鑑賞ではなく、神仏への戦勝祈願および軍勢の結束を図る軍事的・政治的儀式であった。義詮は随行させた右筆や公家にこの儀式を記録させ、「昔より 聞きしにまさる 藤波の なみにあるべき 野田の里かは」という和歌を残した。この時詠まれた歌と「摂津国野田」という地名は、准勅撰連歌集である『
その後、江戸時代には「江成の藤」として絵図等に描かれ、観賞地として定着した。明治34年(1901) には、植物学者・牧野富太郎が現地調査を行い、当地の藤を「ノダフジ」と命名したことで、学術的な名称発祥地としての位置付けが確定した。
昭和20年(1945) の大阪大空襲により原木の藤棚は全焼したが、戦後に地域住民らによって苗木の育成と復元が行われた。現在、現地には歴史的関係を示す構造物が設置されている。集合住宅「エスポアール藤」(大阪市福島区玉川2丁目)の敷地前には「野田藤発祥之地」の石碑が建立され解説板が設置されている。
当地から東へ400mの下福島公園に立派な藤棚ががあり、そこの石碑で当地が案内され続けてきた。
野田藤発祥の地と、その向かい側にある春日神社。⛩️#野田藤#野田藤発祥の地#春日神社 pic.twitter.com/JoUSueLsur
— ぱないの (@panaino_331) April 21, 2024
写真
碑文
野田藤発祥之地
側面には揮毫者の銘が刻まれているようだが不詳
野田藤発祥之地
往古の昔、この付近は大阪湾に面した湿地帯で、温順な気候に恵まれ、辺り一面にフジが咲いていた。
貞治三年(一三六四)春、室町幕府二代将軍・足利義詮が住吉詣の途中この地を訪れ、次の和歌を詠んだことは史実として有名である。むらさきの雲とやいはん 藤の花
野にも山にもはいそかゝれる文禄三年(一五九四)春、豊臣秀吉が藤見物にここを訪れたと伝わる。その後、「吉野の桜 野田の藤 高雄の紅葉」と童歌にも歌われ、野田藤は全国に知られるようになった。これらの由緒により、日本の植物分類学の父・牧野富太郎博士は、日本のフジの標準和名をノダフジ(ツルは右巻)と命名した。写真は同博士が調査のため、この場所を訪れたときに撮られたものである。
戦前まで残っていた野田藤の原木は、惜しくも空襲で焼失したが、区民と行政の努力により、今では区内各所で咲き誇り、「のだふじ」は、「福島区の花」に指定された。
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