レコード 発祥の地
れこーどはっしょうのち
京浜急行 港町駅前に展開する3棟の集合住宅が建つ敷地は、かつてはコロムビアレコードの工場だった。集合住宅3棟のうち、リヴァリエB棟(川崎市川崎区港町5-2)の1階南隅のカフェギャラリーではレコード発祥の地を物語る常設展示があり、住民だけでなく一般者も見学できる。
かつてこの地はコロムビアレコードの工場であり、日本で最初にレコードが製造された。また日本で初めて蓄音機が作られたり、日本で初めてLPレコードが作られたり、日本のレコードの最先端の拠点だった。その後も平成19年(2007) まで生産・研究の拠点であり続けたが、工場は閉じられた。
LPは、Long Playing の略で、78回転のSP(Standard Playing)盤よりも遅い33 1/3 回転で記録され、同じ直径30cm(12インチ)盤で長時間の録音が可能となった。
CD=Compact Disk。直径12cm 厚さ1.2mmの光ディスク。780nmの赤外線レーザーでデジタルデータを読み取る。
工場屋根上に光るネオン灯は東洋最大であり、国道を通り過ぎる人の目にその光景を焼き付けた。
写真
碑文
レコード発祥の地
現在、マンション棟が建っている場所はかつて日本初のレコード会社である日本コロムビア株式会社があった場所であり、レコード発祥の地と呼ばれています。こんな所にも「音楽のまち・かわさき」の一端を見つけることができます。
日本コロムビア株式会社 川崎工場 跡
明治41年(1908年)、創業者フレデリック・ホイットニー・ホーンは、工場の建設に着手し、翌年4月に操業を開始。5月に国産第一号の片面円盤レコードを発売し、明治43年(1910年)には、国産初の蓄音機「ニッポノホン」4機種を発売しました。
大正3年(1914年)、松井須磨子『カチューシャの唄』が発売され、全国的に流行して以降、並木路子・霧島昇『リンゴの唄』の大ヒットを始め、古賀メロディーや美空ひばりなど、時代を彩る数々の名曲が、ここで製造されて全国各地に広がっていきました。
昭和6年(1931年)3月、東洋一を誇るコロムビア・マークのネオン塔が完成。戦時中に一時撤去されることもあったが、川崎の名所となり、長年多くの人に親しまれました。
川崎工場は、国内発のLPレコードやCD、CDプレーヤーを世界に先駆けて発売。国内外から高い評価を受けました。
またレコードやCDだけでなくTV、ラジオの家電を始め、様々な製造を行っていました。
国産初のLPレコード
- 制作
- 日本コロムビア株式会社(1951年)
- 所在地
- 日本コロムビア株式会社
東京都港区- 所有者
- 日本コロムビア株式会社
国産初の塩化ビニル製LPレコード
それまでのレコードには、シェラック樹脂が使われていた。高い針圧を受け止めることのできる硬さの反面、割れやすく、音質にも限りがあった。 LPレコードは、より丈夫で加工性のよい塩化ビニルを用い、マイクロ・グルーブ方式で記録することにより、低雑音、高音質、長時間録音を実現した。これにより、クラシック等、長時間の音楽を高い音質で身近に楽しむことが普及した。国産初の塩化ビニル製LPレコードは、日本コロムビアより1951年3月に4作品が発売され、そのうち2作品が現存している。
レコード発祥の地について
この地はかつて、日本初のレコード会社である日本コロムビア㈱川崎工場があった場所であり、「レコード発祥の地」と呼ばれています。
1907年(明治40年)創業者フレデリック・ホイットニー・ホーンは、この地に工場を建設し、1909年(明治42年)に国産初の円盤レコードを1910年(明治43年)には国産初の蓄音機を生産開始、また日本蓄音機商会(現在ノ日本コロムビア)から、ニッポノホン・レーベルの数多くのレコードやニッポノホン、ユーホン、ニッポノーラなど多種多様な蓄音機を次々と発売し、近代産業の草分け的存在となりました。
1927年には、英米コロムビアと資本提携し、コロムビア・レーベルのレコードを発売開始し、戦後は並木路子のりんごの唄、笠置シズ子の東京ブギウギなど大ヒット曲を次々と世に送り出し、1951年(昭和26年)には国産初のLPレコードを発売したりして、日本の復興を支えてきました。
美空ひばりの大ヒット曲、港町十三番地の曲名も港町の駅名から付けられたと言われています。
カフェギャラリーとは
私たちが暮らす「リヴァリエマンション」は、日本初のレコード会社である日本コロムビア株式会社川崎工場があった場所で、レコードや蓄音機などが製造されていたことから「レコード発祥の地」と呼ばれています。
また、川崎市は、国際的な指揮者や音楽家から高い評価を得ている「ミューザ川崎シンフォニーホール」をはじめ、2つの音楽大学、4つの市民オーケストラ、100を越える市民合唱団、企業の吹奏楽団や合唱団など豊富な音楽資源があることから「音楽のまち・かわさき」として多くの方から親しまれています。
リヴァリエマンション建設にあたっては地区計画が定められており、その方針に従って、展示スペースとして「カフェギャラリー」が設けられました。展示品については日本コロムビアさんから当地で作られた製品及び、歴史を感じられる数々の品を寄贈いただきました。
寄贈品の一部は、「かわさき産業ミュージアム」にも登録され、川崎区の貴重な産業文化財となりました。
日本の音楽産業の歴史を身近に感じることができる「ギャラリー」と貴重な展示品を、末永く大切に守り、後世の人々に伝えてまいります。リヴァリエB・C棟管理組合
かわさき産業ミュージアム
リヴァリエB棟カフェギャラリーに展示されている(SPレコードと蓄音機、LPレコードとレコードプレイヤー、CDとCDプレイヤー)品は、川崎区企業市民交流事業推進委員会において「かわさき産業ミュージアム」の産業文化財として登録されています。
「川崎産業ミュージアム」とは、川崎区全域を展示場に見立てた分散型産業ミュージアム高層に基づくものです。
本ミュージアム構想は、日本の近代化を支え産業技術の発展の歴史を物語る近代化遺産や産業文化財を川崎区の貴重な社会的資源として位置づけ、市民が気軽にアクセス・見学できる条件整備と仕組み作りを行い、ものづくり技術と文化の継承発展を目指して、次代を担う子ども達の教育の場、市民の生涯学習の場として活用するとともに、魅力ある区づくりの新しい柱に産業観光を据えていくことを目的としています。