利平栗 発祥の地
りへいぐりはっょうのち
樽見鉄道 谷汲口駅から東に12km、“四国山香りの公園”にあるティハウス“ハーブレンド”(香り会館隣)の前に,栗の形をした黒い石碑が建っている。
利平栗は普通の和栗より粒が大きく甘みが強いのが特徴。皮が厚いため むきにくい。
この栗が開発されたいきさつは説明に詳しく書かれているが,岐阜県大桑村(現 山県市)の土田健吉氏が,大粒の和栗“大桑大粒”と 甘味の強い中国の“天津甘栗”を掛け合わせて,昭和15年(1940) に開発した。『一度でも利平栗を食べるとほかの栗は食べられなくなるほど美味しい』と評される。
現在では 地元山県市には200軒ほどの農家が利平栗を栽培しているほか,全国各地でも栽培されているようだが,管理が難しいため生産量は徐々に減少してきているという。毎年10月第一日曜日に利平栗発祥の地として、利平栗の普及と町興しのために、「山県市ふるさと栗祭り」が開催される。
写真
碑文
利平栗発祥の地
竣工 平成四年十月吉日
高富町長
利平ぐりの由来
「利平ぐり」は,山県市大桑の土田健吉さんが天津甘ぐり系の品種と「大桑大粒」を交配させて育てた品種です。昭和二十五年に土田家の家名「利平治」をとって「利平ぐり」と名づけました。
昭和初年健吉さんの祖父利平治さんが実生の中に大粒の見事な栗を発見した。健吉さんは祖父のすすめもあって,この栗を接木によって改良し「大桑大粒」と名づけ,近隣にも普及したが天津甘栗の輸入により,販路をおさえられるようになった。
健吉さんは,品種改良に意欲をもやし,自家園で直播,接木とあらゆる手段で研究を重さねた結果,昭和十五年中国系の栗が見事に結実した。以後育成過程をするどい観察力でみつめ,品種を固定させて,昭和二十二年県へ報告し,農林大臣より二十五年農産種苗法登録第六号として認定されました。