りんごの唄の 発祥の地
りんごのうたのはっしょうのち
仙山線 東北福祉大前駅から東に1km、北山駅からは南に約1.5km。 称覚寺・江巖寺・正円寺などの寺が並ぶ一角に龍雲院(仙台市青葉区子平町19-5)がある。 門を入った左手の建物の裏に「りんごの唄の発祥の地」と書かれた看板(プレート)が 貼り付けられている。
「りんごの唄」は サトウハチロー作詞・
碑文の文末に「『発祥の地』は言い過ぎだろうか?」と 遠慮っぽく書いてあって, 拍子抜けしてしまう。龍雲院の門前には万城目正の功績を讃える碑が建っている。
龍雲院は 江戸後期の理論家である「
写真
碑文
りんごの唄の発祥の地
リンゴの唄の作曲者は, 万城目正先生です。先生のご先祖は 1592年(文禄2年)伊達政宗公の家臣となった。万城目荘兵衛盛馬から代々政宗公に仕え, 1868年(明治元年)大政奉還, 王政復古により, 一時北海道の幕別に移り住むも,万城目家は, 1667年(寛文7年)から, 龍雲院を菩提所としている。その子孫である万城目正先生もやすらかに眠っている。
「リンゴの唄は龍雲院が発祥の地」は言い過ぎだろうか?
やすらかに万城目先生
万城目家ご先祖の菩提所こゝ龍雲院に眠る
昭和の歌謡史は古賀政男で花ひらき, 古関裕而 から 服部良一 そして万城目正に受け継がれた。映画(愛染かつら)の主題歌「旅の夜風」と 戦争末期に企画された, 映画(そよ風)の主題歌「りんごの歌」この作品で作曲家の地位を確立日本の歌謡史にしっかりと刻まれた。万城目正(本名 侃)明治38年北海道幕別町で生まれた。武蔵野音楽学校でバイオリンを専攻され, 昭和11年ごろから松竹キネマの音楽部を担当「純情二重奏」など一貫して流れる旋律は, 叙情的なムードと, しっとりとしたロマンの曲が多い。外国のリズムを歌謡曲に用いて, 「懐しのブルース・別れのタンゴ・ 情熱のルムバ」など, 高峰三枝子が歌った一連の名曲を世に贈り, 「越後 獅子の歌・悲しき口笛・東京キッド」は美空ひばりをスタートさせ, 「この世の花」は島倉千代子のデビューに貢献し, 一世を風靡した「旅の夜風」は 当時乙女の紅涙をしぼり, 取り分け, 「りんごの歌」は敗戦のショックで虚脱状態にあった多くの人々に, 大きな夢と, あしたに希望を与え, 今日繁栄の礎となった。