西洋音楽 発祥記念碑

せいようおんがくはっしょうきねんひ

日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは,室町時代末期の天文20年(1551)に 大友宗麟に招かれて大分に渡り,キリスト教の布教活動を行った。

このため大分は日本におけるキリスト教の中心地となり,早い時期から西洋文化が取り入れられた。教会が建てられ,やがて聖歌隊も結成されて,オルガンの伴奏で聖歌が歌われた。

日豊本線 大分駅の北東700m。大分県庁・大分県警本部(大分市大手町3丁目1-1)の北西隅に,弦楽器を奏でる神父と合唱する三人の少年のブロンズ像がある。その横に「西洋音楽発祥記念碑」と刻まれた石碑が建っている。

写真

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  • 西洋音楽発祥記念碑 モニュメント

碑文

西洋音楽発祥記念碑

 1551年(天文20年)聖フランシス コ・ザビエルが,ここ府内(大分市) の地でキリスト教を布教して以来,教会,孤児院,病院,学校がつぎつぎにでき,この地は日本最初のキリスト教文化の栄えた町となった。
 やがてこの町から美しい賛美歌の歌声が流れるようになったが,わけても1557年(弘治3年)の聖週間には聖歌隊ができ,オルガンの伴奏で賛美歌が合唱されたと,当時の文献は報じている。
 また外人神父からビオラを学んだ少年たちは,1562年(永禄5年)7月,領主大友宗麟の前でこれを演奏し大いに賞賛を博した。
 このように大分市こそは日本における西洋音楽発祥の地であるにもかかわらず,今日この史実を知る人はきわめて稀れである。
 わが社は創業7周年に当たり,この埋もれたキリシタン文化遺産を発掘し顕彰するためこの碑を建て,これを大分市民に贈る

昭和48年10月31日

株式会社マリーンパレス
社長 上田 保

西洋音楽発祥記念モニュメント

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