湘南 発祥之地 大磯

しょうなんはっしょうのちおおいそ

 
撮影:
2003年10月
2007年2月(写真提供 H.T.さん)
2016年11月

東海道線 大磯駅から 南へ。左に 聖ステパノ学園 (澤田美喜記念館)を見ながら, 約500m先で 国道1号 東海道に出る。それを渡ったすぐ左前方に, 大きな木々に覆われた中に ひっそりとたたずむ「鴫立庵しぎたつあん」がある。鴫立庵の前に 発祥の地碑と 説明板が建っている。

この地「鴫立沢」は, 西行法師がこの辺りの海岸を吟遊して詠んだ名歌

こころなき 身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮

で知られており, 鴫立庵は 京都の落柿舎・滋賀の無名庵 とともに 日本三大俳諧道場 の一つとなっている。

追記 2007.2

大磯城山公園にある郷土資料館に「鴫立沢」の石碑が建っている。碑面はかなり風化しているが, 資料館による説明パンフレットには 次のように書かれている。

鴫立沢標石 (『湘南』発祥の地)

 大磯にある鴫立沢(しぎたつさわ)は, 西 行法師が東国行脚のとき「心なき 身にもあ はれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」と詠ん だ地として知られています。寛文4年(1664), 小田原の外郎(ういろう)の子孫といわれる 崇雪が, 草庵をむすんで鴫立沢の標石を建て たといいます。磨滅して判読は困難ですが, 正面に『鴫立沢』, 裏面に『崇雪 著盡湘南 清絶地(そうせつ あきらかにしょうなんは せいぜつをつくすのち)』ときざまれています。 年号は確認できませんが, 寛文年間に建てられ たものであるとすれば, 『湘南』という地 名がすでに江戸時代に使われていた可能性 があります。これをもって, 大磯を『湘南』 発祥の地とするゆえんです。この標石は, 塩 害による磨滅からまもるために, 鴫立庵から 当館へ移設されました。なお, 鴫立庵にはレ プリカ(複製)が設置されています。

郷土資料館(大磯・城山公園)

追記 2016.2

大磯駅前に、新たに「湘南発祥の地 大磯」を示す石碑が建ち、2016年2月14日(日)に披露式がとり行われた。

【参考】湘南 発祥の地 大磯 著盡湘南清絶地

【リンク】鴫立庵(大磯町)

追記 2016.11

近くを通りかかったので立ち寄ってみたら、石碑の足下の植え込みが整理されていた。

写真

  • 湘南発祥之地
  • 湘南発祥之地
  • 湘南発祥之地(背面)
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  • 鴫立庵
  • 鴫立沢
  • 鴫立沢
  • 鴫立沢
  • 鴫立沢

碑文

湘南発祥之地

大磯

湘南発祥の地大磯の由来

崇雪と言う人が寛文4年(1664)頃 西行法師の詠んだ名歌
  「こころなき身にもあはれは知られけり
      鴫立澤の秋の夕暮」
を慕って草庵をここに結び標石をたて東海道を往還する旅人に鴫立澤を示し 「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えて刻んだのがはじめです
中国湖南省にある洞庭湖のほとり 湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました

     平成8年4月

■カー大磯クラブ十周年記念

平成七年乙亥五月一日建立

小島 武 井上浩吉
髙島健二 林 務
真壁忠次 田辺邦雄
坂田嘉弘 森谷茂之
飯田修司 中津川正雄
真壁兼太郎 諸星 勲
吉川一郎 野地昭史
石井豊彦 河口邦夫
古瀬恭良 大内守雄
牧田 博 石山 一

第四代大磯町長髙島健二書

地図

地図

大磯町 鴫立庵 付近 [ストリートビュー]