須賀川発祥の地

すかがわはっしょうのち

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東北本線 須賀川駅から南に1.5km、特撮の祖 円谷幸吉の墓所もある十念寺の少し下の空地・駐車場に、屋根のかかった泉がある。その脇に、須賀川発祥を説明する看板が建てられた。

写真


碑文

須賀川発祥の地

江戸時代に書かれた『白河風土記』では、その巻三十二で須賀川町の歴史、地誌について詳しく述べているが、その冒頭に須賀川の怒りについて次のように記してある。

「開発ノ年代ハツマビラカナラス。名ノ起コリハ今ノ道場町中二ワズカ二生スル清水ヲ須賀川トトナフル也。此水コノミズヨリコリシ所ノ名ニヤ」(須賀川の起こった年代ははっきりしないが、名の起こりは今の道場町(現池上町周辺)の中に湧いている清水を「須賀川」と呼び、そこから起こった町名のようである)
昭和の終わり頃まで、ここからは清冽な清水が湧き、自由広場の方へ流れていた。目の前の崖(十念寺)には立派なケヤキの樹があるが、ケヤキは多量の水を必要とする樹木で、ケヤキのある所には水源があるとされている。
この説のほかに、妙見山にまつられている須賀神社と結びつけて、妙見山の前を流れる「したの川」が須賀川だという人もいる。 スカとは(洲処)であって砂州のある所をさし、全国に分布している。(横須賀、高須賀、梅須賀、蜂須賀、須賀院、洲河場など)その意味では「釈迦堂川と阿武隈川の合流する砂地、州」から須賀川と呼ばれるようになったと考えることもできる。
歴史上「須賀川」の地名が初めて記録されたのは元弘三年(一三三三)十一月三日、岩城地方の地頭岡本四郎隆弘が須賀川城へ出頭したという記録がある。それまではイワセ(岩瀬、石背など)と呼ばれていた。

平成三十年石背国立国千三百年の年に
須賀川史談会

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須賀川市池上町 付近 [ストリートビュー]