東京府立 第五高等女学校 発祥の地

とうきょうふりつだいごこうとうじょがっこうはっしょうのち

日本を代表する歓楽街、歌舞伎町。繁華街の真ん中にどどーんと大きな新東宝ビルがあり、その南東に位置する小さな新宿区立歌舞伎町公園(歌舞伎町1丁目13-4)敷地の南東隅に、石柱が立つ。令和元年(2019) 12月除幕。創立100周年を記念して、記念碑が設置された。

宝暦年間(1750頃)に創業した尾張屋は古着屋・質店を営んでいたとされる。明治に入り4代目が死去、4代目の妻 峯島喜代が5代目として尾張屋を引き継いだ。不動産業・金融業を拡大し、大正時代には女性の社会進出に対する教育に寄与したいと希望し、東京府に学校設立計画を働きかけ、その設立資金や土地を提供した。

大正9年(1920) の開校時は当時の第三女学校(現在の駒場高校)の校舎を借りていたということだが、5月には碑がある公園の隣接区画で新東宝ビルが建つ東京府豊多摩郡淀橋町字角筈879に移転した。石碑設置に際し、私有地よりも公共用地ということで、隣接地である当地が選ばれたのだろう。

第五高等女学校は、戦災を経て中野へ移転、昭和25年(1950) に男女共学の富士高校として再開した。

なお、令和2年(2020) には、中野区弥生町の富士高校にも100周年記念碑が設置され、峯島喜代のこと等が刻まれている。

写真

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  • 歌舞伎町公園
  • 東京府立第五高等女学校発祥の地(2022.10)
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碑文

東京府立第五高等女學校発祥の地

東京府立第五高等女學校は 峯島喜代刀自による東京府への私財寄贈を契機に 大正九(一九二〇)年東京府豊玉郡淀橋町字角筈(現新宿区立歌舞伎町公園隣地)に開校 昭和二十(一九四五)年四月戦災により校舎全焼
同二三(一九四八)年中野区富士見町(現弥生町)に移転
同二五(一九五〇)年東京都立富士高等学校となり現在に至る

東京府立第五高等女學校 東京都立富士高等学校 創立百周年記念

令和元(二〇一九)年十一月 建立
東京都立富士高等学校同窓会若竹会

地図

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歌舞伎町1丁目 付近 [ストリートビュー]